大連神社境内には、
社務所らしき小さな建物がありますが、
現在は使われていない様子。
この裏手に紅石山の頂上への道があります。
社務所らしき建物の裏手には、
何らかの建物がたっていたであろう石垣が。
これは阿弥陀寺関係の諸坊の石垣でしょうか?
石垣があった場所からさらに奥へ進む。
山道というよりけもの道といった感じ。
かろうじて道と思われる場所を進みます。
意外とすぐに山頂… 続きを読む
下関市阿弥陀寺町 紅石山砲台跡
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大連神社境内には、
社務所らしき小さな建物がありますが、
現在は使われていない様子。
この裏手に紅石山の頂上への道があります。
社務所らしき建物の裏手には、
何らかの建物がたっていたであろう石垣が。
これは阿弥陀寺関係の諸坊の石垣でしょうか?
石垣があった場所からさらに奥へ進む。
山道というよりけもの道といった感じ。
かろうじて道と思われる場所を進みます。
意外とすぐに山頂… 続きを読む
平家一門と共に壇ノ浦に沈んだ安徳天皇。
この幼帝を祀るのが赤間神宮です。
赤間神宮は幕末まで阿弥陀寺という寺でしたが、
明治になって「天皇社」として神社となり、
明治8年に「赤間宮」、
15年に「赤間神宮」と変貌しました。
「赤間神宮… 続きを読む
了円寺は功山寺挙兵で新地会所を襲った後、
反乱軍が駐屯した寺として知られ、
本堂にその時に付けられた刀痕が残ります。
「了円寺本堂」。
本堂は当時のまま。
柱に残された刀痕は見事な二太刀の痕で、
ある程度の腕を持つ者の残したものという。
了円寺の墓地にある長州兵らの墓。
小倉戦争で戦死した3人の墓があります。
本堂の真裏に3基並んでおり、… 続きを読む
功山寺の墓地には三吉慎蔵や、
泉十郎、豊永長吉(印藤聿)、
三吉周亮等の墓があることが知られますが、
まだ多くの人物の墓があったりします。
有名どころ以外は説明板も無く、
無縁となったりしてるものは、
整備されずに草に覆われていたりします。
墓地内を歩き突状方柱型の墓石を見つけ、
没年が慶応や明治初期だったりしたら、
調べてみると意外な人物だった。
そんな感じで、… 続きを読む