延命寺は小倉城の東北鬼門の守りとして、
小倉藩の保護を受けでいました。
また足立山にあった東照大権現宮も移され、
住僧は代々東照宮の別当を兼務しています。
国道3号線沿いにあるこの寺は、
派手さから場所は知っていましたが、
なかなか立ち寄ることが出来ずにいました。
「延命寺」。
小倉戦争で焼失していたのですが、
長州の僧田中芝玉… 続きを読む
延命寺は小倉城の東北鬼門の守りとして、
小倉藩の保護を受けでいました。
また足立山にあった東照大権現宮も移され、
住僧は代々東照宮の別当を兼務しています。
国道3号線沿いにあるこの寺は、
派手さから場所は知っていましたが、
なかなか立ち寄ることが出来ずにいました。
「延命寺」。
小倉戦争で焼失していたのですが、
長州の僧田中芝玉… 続きを読む
小倉北区赤坂に奇兵隊士の墓があります。
赤坂4丁目付近周辺。
手向山の西側。赤坂2丁目の小高い山。
地図ではなんてことはないのですが、
急な坂と細い道が多い場所でした。
その割には周辺の家は豪邸が多い。
急な坂をどんどん車で登って、
行き止まりまで行くと、
車を止められるスペースがあります。
そこからすぐの所にありました。
「長州奇兵隊戦死墓」他。
右から、… 続きを読む
宮本武蔵の顕彰碑のある手向山の東側は、
小倉戦争の激戦地だった場所。
今は閑静な住宅街になっておりますが、
そこを流れる村中川の橋を見に行きました。
「志津摩橋」。
気が付かずに通り過ぎてしまうような橋。
橋名は島村志津摩隊が布陣したことに由来。
島村志津摩は金辺峠に陣を敷き、
長州軍に抵抗したことで知られます。
島村隊は大里の戦い… 続きを読む
王子の鼻と呼ばれる岬に砲台が建設され、
二十四斤長加農砲が2門、
十八斤長加農砲が1門置かれました。
王子の鼻は半円状に海に突き出した岬で、
王子山と呼ばれた小高い丘がありました。
矢印の位置の赤い線(街道)が、
半円になってる部分が王子の鼻。
元治元年の下関戦争後に撮影された王子の鼻。
蔵が海沿いに並んで栄えていた所でした。
街道はその蔵の内側です。
写真には写っていませんが、
写真の左側に小高い丘(王子山)があり、… 続きを読む
福聚寺は小倉藩初代小笠原忠真が創建し、
菩提寺として藩の保護を受けました。
「第一関門」。
福聚寺の総門にあたる第一関門。
本来の正規の入口なのですが、
門前は民家が立ち並んで結構狭い。
駐車場も裏門にありますので、… 続きを読む
小倉城を自焼させ田川に退いた小倉藩。
長州藩兵が小倉城下に入ったのは次の日でした。
高杉晋作や山縣狂介も小倉入りしますが、
白石正一郎も小倉に入っております。
白石が日記に記すところによると、
小倉城下はもぬけの殻で、
盗人の類いがうろつく程度であったらしい。
長州兵が… 続きを読む
大砲のレプリカが並ぶ壇ノ浦周辺は、
下関の観光スポットの一つ。
歩いて門司に渡れる関門トンネルの人道や、
源義経と平教経の像などもありますが、
他に火の山に登るロープウェイもあります。
この火の山という山は、
海峡に添うようにそびえる山で、
名前から火山を想像しそうですが、
別に火山ではありません。
この山に… 続きを読む