生野代官所は天領生野にあった代官所で、
但馬国、播磨国、美作国の天領支配の他、
生野銀山の管理を行っていました。
生野銀山は大同2年(807)の開坑とされ、
天文11年(1542)に守護大名山名祐豊により、
本格的な採掘が始められたという。
後に織田信長、… 続きを読む
兵庫県朝来市 生野代官所跡
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生野代官所は天領生野にあった代官所で、
但馬国、播磨国、美作国の天領支配の他、
生野銀山の管理を行っていました。
生野銀山は大同2年(807)の開坑とされ、
天文11年(1542)に守護大名山名祐豊により、
本格的な採掘が始められたという。
後に織田信長、… 続きを読む
日原には銅の鉱山があり、
安土桃山時代に開発されたとされ、
銅の鉱床が地表に出ていて、
日の光でキラキラと輝いていたという。
これが日原の地名の由来と云われ、
江戸期には天領となっていました。
「日原の街並み」。
日原に限った事ではありませんが、
山陰… 続きを読む
谷中霊園内の寛永寺谷中第二霊園に、
御三卿の一橋徳川家の墓所があります。
元々は寛永寺の塔頭凌雲院にありましたが、
上野戦争で多くの墓石が損傷。
更に関東大震災で破壊されてしまった為、
現在地に改葬される事になりましたが、
その際に2代… 続きを読む
谷中霊園へ初訪問。
政府は朱引内の埋葬を禁止し、
明治7年に墓地取扱規則を制定します。
これを受け東京府が8ヶ所に墓地を開設。
そのひとつが谷中墓地でした。
元々は天王寺の寺域の境内でしたが、
その一部が没収されて墓域に充てられ、
天王寺の墓域や寛永寺… 続きを読む
豊前四日市は東西本願寺別院が隣接し、
門前町として栄えた場所で、
日向街道の宿場町、天領陣屋町でもあり、
非常に賑やかであったという。
四日市周辺。緑の線が日向街道で、
青でぼかした辺りが門前宿場町。
江戸時代中期に真勝寺騒動が起こり、
東本願寺末寺の… 続きを読む