大洲鉄然は覚法寺住職大洲雪道の次男で、
右田の大田稲香、柳井の月性に学びました。
後に階位を得る為に西本願寺を訪ねますが、
手数料10両を求められた事に憤慨し、
出奔して堺で剣術道場を開きます。
どこで習得したかわかりませんが、
鉄然は剣、弓、やり、砲術にも長けており、… 続きを読む
山口県大島郡 覚法寺/大洲鉄然誕生地
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大洲鉄然は覚法寺住職大洲雪道の次男で、
右田の大田稲香、柳井の月性に学びました。
後に階位を得る為に西本願寺を訪ねますが、
手数料10両を求められた事に憤慨し、
出奔して堺で剣術道場を開きます。
どこで習得したかわかりませんが、
鉄然は剣、弓、やり、砲術にも長けており、… 続きを読む
幕末期に「げっしょう」の名を持つ勤皇僧が、
二人いました。
一人は清水寺成就院の住職で、
西郷隆盛と入水自殺した尊皇攘夷派の僧月照。
もう一人が海防僧と呼ばれた熱血漢月性でした。
月性は妙円寺… 続きを読む
唐津の男装の女志士奥村五百子。
父了寛の連絡役として諸国を旅し、
深編笠に義経袴、草履履きに朱鞘の大小で、
大坂、長州、対馬… 続きを読む
中山忠光は幕吏から逃れるために逃避行を続け、
湯玉浦の庄屋石川良平(後の山縣有朋義父)邸で、
2~3日過ごし宇賀本郷の大専寺へ移動します。
実際には幕吏なんて居なかったと思います。
長州領内で大々的な捜査は不可能でしょうし、
公式に大人数を長州領内に派遣して、
捕まりませんでしたでは面子が立ちませんので、
確かな情報がない限り動けないでしょう。… 続きを読む