清光院には高槻藩永井家の墓所もあります。
「清光院」。
清光院は17あった東海寺塔頭で、
現在も当初の場所にある唯一の寺院。
この寺の奥平家墓所は有名ですが、
もうひとつの高槻藩永井家の墓所も、
充分に立派なものです。
「高槻家墓所」。
歴代藩主及び一族の49基が並ぶ墓所。… 続きを読む
東京都品川区 清光院/高槻藩永井家墓所
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清光院には高槻藩永井家の墓所もあります。
「清光院」。
清光院は17あった東海寺塔頭で、
現在も当初の場所にある唯一の寺院。
この寺の奥平家墓所は有名ですが、
もうひとつの高槻藩永井家の墓所も、
充分に立派なものです。
「高槻家墓所」。
歴代藩主及び一族の49基が並ぶ墓所。… 続きを読む
東海寺には宮川藩堀田家の墓所もあります。
「東海寺」。
京都の大徳寺の住職沢庵宗彭は、
紫衣事件で出羽国に流罪となって、
上山藩に預けられていました。
寛永9年(1632)に大御所… 続きを読む
東海寺は北品川にある臨済宗の寺院。
3代将軍徳川家光によって創建され、
沢庵宗彭を招聘して開山されました。
元禄7年(1694)の品川宿の火災で延焼し、
諸堂は全焼していますが、
5代将軍徳川綱吉によって再建され、
幕府による保護を受けて隆盛。… 続きを読む
養玉院の前身は平安時代創建の三藐院で、
江戸城の築城に際して上野に移転し、
寛永寺山内に寺地を拝領して三明院と改称。
後に対馬府中藩宗家の菩提寺となり、
2代宗義成の正室福姫の院号から、… 続きを読む
如来寺は木食但唱らが造った五智如来像を、
芝高輪に安置して開かれた寺院で、
一丈(約3.3m)の如来像が五躯並ぶ姿は、
江戸の人々から芝大仏と親しまれました。
二度の火災で五智如来像は焼失しますが、
その都度再建されたようで、
江戸の名所として賑わっていたという。
後の明治41年に西大井に移転し、
大正15年に養玉院… 続きを読む