長州藩重臣の墓が集まる大寧寺墓地。
何度か訪問してはいますが、
今回はその墓域をゆっくりと踏差しました。
墓碑の数は300近くあるとされ、
1回では容量的に不可能と思われますので、
家系別に数回に分けて紹介します。
「大寧寺墓地」。
境内の南西側の斜面にある大寧寺墓地。
長州藩の重臣達の墓碑の他、
大寧寺に関係する歴史上の人物らの墓が、
所狭しと立ち並んでいます。
今回は江戸期以前の人物らの墓碑。
「鷲頭弘忠」の墓。
深川城主で大寧寺開基の鷲頭弘忠の墓。
鷲頭家は大内家の庶流とされ、
周防国都濃郡鷲頭を領していましたが、
弘忠は大内家12代大内持世に信頼され、
長門国守護代に任じられています。
本山である總持寺の禅僧石屋真梁を招聘し、
深川城内に康福寺を創建しますが、
人里に近過い為に場所を現在地に移動して、
寺名を大寧寺に改めました。
しかし弘忠は13代大内教弘に嫌われて、
守護代を解任されるとこれに対抗。
出城を築くなど攻撃に備えていましたが、
教弘に攻められて深川城は落城し、
弘忠以下一族郎党が殺されたという。
「上杉憲実」の墓。
21代関東管領上杉憲実の墓。
越後国守護上杉房方の三男として生まれ、
従弟の20代関東管領上杉憲基の死後、
鎌倉に入って関東管領に就任。
上野国、武蔵国、伊豆国守護も兼任します。
永享の乱で鎌倉公方に勝利しますが、
戦乱の日々に嫌気が差したのか出家。
隠遁後も嘉吉の乱や享徳の乱に巻き込まれ、
後に諸国遍歴の旅に出発し、
最終的に大寧寺で晩年を過ごしたとのこと。
この大寧寺は大内家の庇護を受けますが、
後に隆盛を誇った大内家も衰退。
16代大内義隆が家臣の陶隆房の謀反され、
山口を追われて大寧寺に逃れますが、
陶勢に包囲された為に自害しています。
墓地には大内義隆主従の墓もありますが、
前回訪問時に記事としておりますので、
今回は割愛(記事はこちら)。
この際に大寧寺は諸堂を焼失していますが、
大内家滅亡後は毛利家の庇護を受けて再建。
毛利元就の継室である東の大方、
毛利秀就の長女で松平光長室の登佐姫、
毛利綱広の長女で松平義行室の吉姫の墓が、
この大寧寺墓所に建てられました。
「毛利秀就長女の墓跡」。
上記の姫君の墓は現在はありません。
その行方はよくわかりませんが、
東の大方の墓は後に東京に移されたと、
Wikipediaには書かれていますが、
本当かどうかわかりません。
※東京という事は維新後の話か?
綱広長女吉姫の墓は不明。
墓地は崩れた墓石が散乱しており、
数度の整備や墓石の移動もあったようで、
場所がわからなくなっているようです。
そもそも松平義行に嫁いでいる筈が、
何故大寧寺に墓が建てられたのかも不明。
秀就長女登佐姫の墓のあった場所は、
墓地の最上段にあったようですが、
現在はその墓碑は失われてしまっており、
周辺には墓石や灯籠石が散乱しています。
こちらは夫光長が改易となった為、
その際に離縁して戻ったと思われます。
■関連記事■
・山口県長門市 大寧寺
湯本温泉ある曹洞宗の大寺院。
・山口県長門市 湯本温泉
県で最も古い歴史をもつ温泉街。
・山口県萩市 大照院/長州藩毛利家墓所
初代秀就と偶数代藩主の眠る寺院。
・山口県長門市 大寧寺墓地/益田家墓所
大寧寺墓地にある益田家の墓碑群。
・山口県長門市 大寧寺墓地/阿川毛利家墓所
阿川毛利家の墓所があったという。
・山口県長門市 大寧寺墓地/寄組山内家墓所
大寧寺墓地にある寄組山内家の墓碑群。
・山口県長門市 大寧寺墓地/児玉家墓所
大寧寺墓地にある寄組児玉家の墓碑群。
・山口県長門市 大寧寺墓地/寄組墓碑①
寄組堅田家、国司家、桂家の墓碑。
・山口県長門市 大寧寺墓地/寄組墓碑②
宍戸家、赤川家、乃美家、榎本家の墓碑。