山口県山口市 玄済寺/吉敷毛利家墓所②

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つづき。


慈光院殿在天道自大居士」。
3代当主毛利元包の墓。
2代毛利元包の嫡男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
同年に家中の知行地再編で吉敷に移り、
以降は代々吉敷を所領。
46年の当主在籍の後に隠居し、
その5年後に死去しています。


四代 就直公」。
4代当主毛利就直の墓。
※墓碑銘は読めませんでした。
右田毛利家3代毛利元法の次男で、
3代元包の養子となり家督を相続。
長きにわたり当職(国家老)を務めており、
貞享3年(1686)に検地の責任者となった他、
干拓事業等も行い加増されています。

5代毛利広包、6代毛利元直
7代毛利就将、10代毛利包詮は、
日蓮宗に帰依したようで、
円満寺に葬られここにはありません。
しかしこの円満寺は後に宇部に移転し、
跡地に墓所が残されていましたが、
平成30年に撤去されてしまい、
現在は住宅地になってしまったという。


廓照院殿功嶽紹勲大居士」。
8代当主毛利就兼の墓。
右田毛利家7代毛利広定の次男で、
7代就将の養子となって家督を相続。
当職となると藩士らの減知を画策し、
財政難の改善をしようとしますが、
反対されて断念しています。


功玄院殿照巖百聞大居士
9代当主毛利房直の墓。
右田毛利家8代毛利就任の次男で、
前当主就兼の急死に伴い、
末期養子となり家督を相続しますが、
僅か5年で死去しています。

10代当主包詮は上記したように、
円満寺に葬られてここにはありません。
包詮は7代就将の子でしたので、
父と同じ場所を墓所としたのでしょう。


大龍院殿眠山〇〇大居士」。
11代当主毛利房裕の墓。
阿川毛利家11代毛利就貞の次男で、
早世した10代包詮の家督を相続。
家臣服部伝厳の建議を受けて、
郷校憲章館を設立しています。


天作院殿高山〇宵大居士」。
12代当主毛利房謙の墓。
厚狭毛利家8代毛利就宣の五男で、
11代房裕の養子となり、
その死去に伴い家督を相続しました。
長兄の厚狭毛利家9代毛利房晁が、
逼塞を命じられて隠居した為、
2歳で家督を継いだ毛利元美を後見。
藩が幕府河川普請手伝を命じられると、
その総奉行に任命されています。

つづく。
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