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毛利元就の九男であった小早川秀包は、
関ヶ原の戦い後に改易されて浪人となり、
後に改めて毛利輝元に召し抱えられ、
阿川、滝部、殿居7千石を与えられました。
これが吉敷毛利家の始まりで、
秀包の孫3代毛利元包の時代に、
藩内で領地替えが行われて吉敷に移り、
吉敷毛利家と呼ばれるようになります。
元々玄済寺は阿川にあったようですが、
領地替えの際に吉敷に移されました。
「山門」。
参道は吉敷招魂場のある天神山の横に延び、
山門前に吉敷願かけ地蔵が建立され、
願いを叶えるお地蔵様となっています。
「幽石大田翁寿蔵碑」。
吉敷毛利家家老大田幽石の寿蔵碑。
大田は尊攘派の家老であったようで、
高杉晋作らの要請を受けて内訌戦に協力。
幕長戦争では良城隊中軍軍監となり、
芸州戦争に出陣しています。
郷校憲童館の学頭も務めていたようで、
後に各府県の官職を歴任した後、
「毛利十一代史」を執筆。
17年の歳月を費やして完成させてます。
碑は80歳を祝って建立されたもの。
「本堂」。
平成19年に改修された綺麗な本堂。
屋根の一番上に「一文字三つ星」の家紋。
毛利家菩提寺の証です。
福原家13代福原広俊の墓がありますが、
これは別記事にしています。
山口県山口市 玄済寺/福原広俊墓所
本堂左奥の吉敷毛利家の墓所へ。
「吉敷毛利家御墓 入口」。
石段を登ると吉敷毛利家の墓所。
墓所は縦長に延びるように配置されており、
墓地見取図が建てられています。
「引地の君のエンジェル像」。
石段途中にある小さな石像。
初代当主秀包の正室引地の君は、
熱心なキリシタンだったようで、
彼女を表した天使象と伝わるもの。
下関市豊田町 毛利秀包夫人引地君の墓
最頂部の初代及び2代より。
「瑞光院殿玄済道叱大居士(左)」、
「大初道一大居士(右)」。
初代当主毛利秀包と2代毛利元鎮の墓。
初代と二代は阿川時代の領主。
双方とも旧領に墓所かありますので、
こちらは供養墓となっています。
つづく。
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■関連記事■
・下関市豊北町 西楽寺/毛利秀包墓所
家祖秀包の墓所があります。
・山口県防府市 天徳寺/右田毛利家墓所
一門家老右田毛利家の墓所。
・下関市豊北町阿川 阿川毛利家墓所
一門家老阿川毛利家の墓所。
・山陽小野田市 洞玄寺/厚狭毛利家墓所
一門家老厚狭毛利家の墓所。
・山口県熊毛郡 海前寺跡/大野毛利家墓所
一門家老大野毛利家の墓所。
・山口県周南市 貞昌寺/宍戸家墓所
一門筆頭家老宍戸家の墓所。