高杉晋作に従う謎の僧

高杉晋作には三谷国松という少年(記事はこちら)の他にも、
謎の僧が従っていたらしい。その謎の僧は檜了厳といい、
萩出身の書画の達者な人物としかわかっていない。

しかも晋作関連の資料にのみ出てくるだけ。
晋作の死後は忽然と姿を消してしまい、その後の消息は不明。

白石正一郎の日記や残された晋作の手紙などから、
桂小五郎井上聞多伊藤俊輔と行動してる形跡があるのですが、
晋作の死後に彼らが了厳について語った記録はありません。

とにかく、慶応元年より突如名前が出てきて、
伊藤や井上と共に晋作の使いをしたりしています。
小倉戦争の際には、陣中の晋作に常に従っており、
門司や小倉などの戦場にもついて行ってます。

晋作が労咳で離脱した後もその病床に従い、
晋作に水墨画を教えたりしました。


晋作が福田侠平に送った手紙に描かれた自画像
目の細さ、顔の長さなど自分の特徴をよく捉えていますが、
ザンギリ頭の筈が月代になってますね。
もしかして最晩年は、月代に戻していたのでしょうか?


おうのを描いた絵。
後ろ向きなのですが、おうのの雰囲気が出てるのは愛情の表れ?
かわいらしい絵です。

了厳自身の水墨画も東行庵に所蔵されているようですが、
僕はまだ見たことがありません。

おうのの回想録にも了厳が登場し、
以前晋作に世話になり、晋作の介抱をせねば済まないので、
病床に泊まり込んで看病したらしい。
晋作の病床にはおうのと野村望東尼
そして了厳がつきっきりで看病していたようです。

晋作の死後、遺族から形見分けの
金300疋、唐物提籠、五郎丸小袴」を貰った後、
了厳は完全に消息を絶ちます。
今後、唐物提籠五郎丸小袴が出てくれば、
了厳の消息もつかめるかもしれませんね。

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