2種類ある高杉晋作の写真のひとつ。
真ん中が晋作で、右側は伊藤俊輔(博文)。
では、この少年は?
山田顕義とか高島某とかいわれていますが、彼は三谷国松。
晋作に憧れて従者のように付きまとったていた少年です。
いつのころからか付き従うようになった萩の医家の息子で、
はじめ村上姓でしたが、晋作も一時名乗っていた三谷姓を、
この少年に与えて可愛がったようです。
写真では少年の肩からタスキ掛けのヒモが見えますが、
これは晋作用の酒が入った竹筒か、
ヒョウタンをぶら下げていたヒモらしい。
この写真は慶応元年の長崎で撮られたものですが、
晋作は英国に密航するつもりで長崎に来た訳ですから、
国松少年も連れて行く気だったのでしょうか?
明治になると、鉄道局に勤めて品川駅長に就任。
維新後は名前を改め晋作の諱「春風」にあやかり、
「春風の道を歩む」の意味か「三谷春道」と名乗っています。
その後、駅長の職を辞めて事業を興しますが上手くいかず、
晩年は落ちぶれて、娘の世話になっていたそうです。
写真に写る3人のうち、一人は英雄。一人は初代総理大臣。
一番年下で出世しそうな位置に居たにもかかわらず、
なんら名前を残すことが出来なかったのは、
タイミングと運が悪かったということでしょうか・・・。
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この強そうな苗字は晋作が命名したもの。