月形洗蔵は過激な勤皇思想と正義感ゆえに、
藩主に勤皇と諸藩の罪状を建白した為、
その怒りに触れてしまいます。
月形は家禄没収のうえ牢居という罰を受け、
約4年間の幽閉生活を送りました。
九州自動車道筑紫野ICの近くに、
彼が幽閉生活を送った場所があります。
「月形洗蔵幽閉の地」。
幽閉されていた農家佐伯五三郎宅は、
碑の目の前の高速道路の通る位置。
幽閉中、洗蔵は部屋の端に座って本を読み、
近所の子らに学問を教えて暮らしました。
月形洗蔵は元治元年5月に罪を許され、
尊攘運動に邁進するのですが、
その後に乙丑の獄で斬首されるまで、
たった1年の活動でした。
その間に高杉晋作を匿ったり、
薩長同盟の周旋を行ったり、
五卿大宰府遷座を実現させたりしています。
西郷隆盛は、
「筑前においては無双というべし」と、
月形を評価しています。
1年でこれだけの偉業を成し遂げる様は、
まさに無双というべきですね。
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