福岡県筑紫野市 五卿の歌碑

第一次長州征伐の降伏条件は、
三家老四参謀の処罰、毛利藩主父子の謝罪文提出、
五卿の藩外移居山口城の取り壊しなどでした。
五卿の受け入れ先は、福岡藩領の大宰府と決まり、
元治2年2月13日に宰府延寿王院に到着します。

五卿の大宰府での生活は、意外と自由なものでした。
もちろん勤皇の志士達にも会えましたし、
ちょっとした遠出(温泉など)にも行っていました。
腐っても(失礼)公卿ですので、
どこに行ってももてなされるわけですから、
書を残したり、詩を詠んだりしていて楽しそうです。

福岡県筑紫野市には、
歌人の詠んだ歌の歌碑が多く建てられており、
その中に、当地に滞在中に詠んだ五卿の詩も残されています。


五卿の歌碑の場所。
実際には飛鳥時代からの歌人の歌碑が点在しており、
その総数26基もありますので、
すべて巡るとなると頑張っても1日掛かりますね。


天拝山歴史自然公園」。
天拝山は、大宰府に流刑された菅原道真が、
自らの無実を訴えるべく幾度も登頂し、
天を拝したという伝記に由来。
公園は、つつじ、菖蒲、万葉植物など、
四季折々の花や植物が楽しめ、
二日市温泉の発見者藤原虎麿の像もあります。

この公園にある池上池のほとりに四条隆謌の詩碑があります。

四条隆謌詩碑」。
青 山 白 水 映 紅 楓
  楽 夫 天 命 復 何 疑

訳:青い山、澄んだ水に紅葉が映え、とても美しい景色。
  天命を受け入れそれを楽しめば、何の迷いもなくなった

王政復古を“天命”とする決意がしのばれるとの説明ですが、
ただ単にここの自然を楽しんでいるだけのような・・。
この詩に王政復古を絡めるのは下衆いように思います。
筑紫野の自然の美しさが、気に入ったようですね。


武蔵寺」。
公園に隣接する武蔵寺は九州最古の寺院。
今昔物語集」や「梁塵秘抄」にもその名が載っています。

この寺の山門横に東久世通禧の歌碑があります。

東久世通禧歌碑」。
ふじなみの はなになれつつ みやひとの
むかしのいろに そてをそめけり

訳:武蔵寺の「長者の藤」を見ながら、
  昔栄えた宮人の着ていた紫の服の色に、

  自分の衣も染まるようだ
祖先の華やかな時代をしのんだものですが、
彼の歌にも悲壮感はありません。

武蔵寺より北へ向かい、
帆足商店という商店の向い側に壬生基修の歌碑があります。

壬生基修歌碑」。
ゆうまくれ しろきはゆきか それならて
つきのすみかの かきのうのはな

訳:晩春の夕暮れに見える白いものは雪ではないか?
  滞在先の垣根に咲く、白い卯の花だった

自分の滞在先を「月の住家」と詠んでいることから、
けして悪い印象ではないような気がします。
雅な京で歌ったと言ってもおかしくないものですね。

高速道路を渡って、二日市温泉の大丸別荘へ。
ここの裏門に三条実美の歌碑があります。

三条実美歌碑」。
ゆのはらに あそふあしたつ こととはむ
なれこそしらめ ちよのいにしへ

訳:湯の原に遊ぶ芦田鶴に、
  千代の昔の馴れ初めを尋ねてみよう
王政復古をめざした激しい心情を詠ったと説明されていますが、
その解釈も下衆い気がします。
温泉に浸かっていい気分の時に詠んだと思われますので、
水辺の鶴を発見し、その風情を歌にしたものではないでしょうか?

大丸別荘は創業150年の老舗で、夏目漱石高濱虚子らの文人や、
皇室の方々も泊まった格式ある温泉旅館。
いつの日か泊まってみたいものです。

大丸別荘より少し南に進んだ大きなマンションの前。
三条西季和の歌碑があります。

三条西季和歌碑」。
けふここに ゆあみをすれば むらきもの
こころのあかも のこらざりけり

訳:今日ここで温泉に浸かったら、
  これまでの嫌な事も忘れてしまった
心の垢とはこれまでの流浪についてでしょうが、
それも忘れてしまうくらいのんびりしたものです。

そこから南へ進んで、県道31号線を越えてさらに進むと、
またもや三条西季和の歌碑があります。

三条西季和歌碑」。
ひとならぬ くさきにさへも わするなよ
わすれじとのみ いはれけるかな

訳:人ならぬ草木にさえも「忘れないで下さい
  いつまでも忘れません」と言われた

滞在先の松尾家での歓待に対する謝意を詠んだもの。
松尾家で大歓迎を受けで、
しかも「いずれ京にお帰りになるのでしょうが、
我々の事を忘れないで下さい。
私達もけして忘れません
」と嬉しい事も言われる。
とってもいい気分で詠んだ歌ですね。

最後にもう一度高速道路を越えて八ノ隈池へ。
この池のほとりに東久世通禧の歌碑があります。

八ノ隈池」。
GoogleMapには池の名前は書かれていませんので、
ここを見つけたのは地元の案内地図のおかげ。
八ノ隈池はどうも2ヶ所あるようで迷いました。
人影のないさみしい池でした。


東久世通禧歌碑」。
しもかれの おはながそてに まねかれて
とひこしやとは わすれかねつも

訳:霜に枯れた尾花に招かれたあの場所で過ごした事は、
  とてもわすれることが出来ない

先ほどの三条西季和の歌と同じく、
松尾家での歓待に対したもの。
楽しいおもてなしだったんでしょうね。

五卿は長州での滞在よりも、
大宰府での滞在の方が良かったんだと思います。
臨戦態勢で殺伐とした長州藩での滞在は、
身の危険も感じていたでしょうし、
けして落ち着けるような状態ではなかったはず。

それに比べて大宰府では、なんとものんびりした事か。
大宰府に移ってきて正解だったなぁ~。
 もっと来ていれば良かった

そういう感情が五卿の歌から聞こえてくるようです。

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