青森県上北郡七戸町 七戸城跡①

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盛岡南部家支流の旗本寄合麹町南部家は、
盛岡藩より蔵米6000石の新田分地を受け、
1万1千石の定府大名盛岡新田藩となりました。

2代藩主南部信誉北方警備の功績によって、
無城大名から城主格大名となり、
盛岡藩より七戸代官所が貸し与えられます。
蔵米支給の大名は、領地の行政は必要なく、
藩庁などいらないと思われるのですが、
たぶん城主格大名となった際に、
国許に藩庁も無いでは体裁が悪いと、
盛岡藩が貸し与えたのではないでしょうか?

盛岡藩及び八戸藩、盛岡新田藩は、奥羽越列藩同盟に参加。
新政府軍と戦いましたが、盟主である仙台藩の降伏後に、
これに習って降伏し新政府に受理されています。
新政府は蔵米支給の大名を諸侯として認めなかった為、
盛岡新田藩は消滅させられるところでしたが、
盛岡藩家老新渡戸傳が七戸代官所を貸し与えた経緯を利用し、
分知が実施されたように上手く報告し認められます。

かくして七戸藩は1万1千石の領地を確定させ、
そのうえで藩主南部信民は千石の減封と隠居が命じられ、
養嫡子の南部信方が新たに信方の旧領を受け継きました。

七戸代官所は元々七戸城があった場所で、
江戸時代に廃城となった城跡に建てられた代官所で、
幕府には要塞屋敷として承認されています。


大手虎口跡」。
訪問時は大雪が降った日。
行くか行くまいか迷った挙句の訪問でした。


宝泉館跡」。
大手虎口の左側の郭で、
標識の背後の高くなっている場所が宝泉館跡。
現在はツツジ園となっているようですが、
訪問時は雪で何も見えず。
宝泉館の名称の由来は、
宝泉坊という僧侶がいたからとのこと。


下館跡」。
大手虎口の右側の郭。
雪でよくわかりませんが更地のようです。
かつては幼稚園があったらしい。


西館跡」。
宝泉館の一段上の郭で、
ここも更地のようですが、雪でよくわかりません。


柏葉公園」。
七戸城の本丸跡及び二ノ丸跡は、
柏葉公園として整備されており、
公園の敷地内が七戸代官所だった場所になります。
この入口あたりに代官所の西御門がありました。


二ノ丸跡はグランド児童公園となっている様ですが、
全て雪で覆われてしまっています。
写真はグランドのあるあたり。


雪でよくわからないのですが、とにかく結構な広さはあります。


七戸城址」碑。
二ノ丸跡とやけんぼりという堀を隔てて本丸跡があり、
本丸跡は現在七戸神明宮の境内となっています。


七戸神明宮」。
七戸氏の祖南部政光が、領内の総鎮守として勧請したとされ、
はじめ新町に鎮座していましたが、城下を何度が遷座した後、
明治26年に現在の位置に遷座されました。
境内は本丸跡ですが、巨大なモミスギの木が立っています。
これらは江戸時代以前のものなのでしょうね。

とりあえずこれで一旦柏葉公園を出て、
次回は東門側から城へ入ってみます。

つづく。
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