奥羽鎮撫」タグアーカイブ

山形県上山市 上山城

上山は温泉宿場町として古くから栄え、
最上家の所領でしたが、最上家はお家騒動で改易され、
上山には能見松平家が4万石で入封。
その後、蒲生忠知土岐頼行金森頼時と代わり、
藤井松平家松平信通が3万石で入って以降、
廃藩置県まで10代続いでいます。… 続きを読む

山形県山形市 水野三郎右衛門関連史跡

山形藩筆頭家老水野三郎右衛門元宣は、
藩主不在の山形藩をまとめて、奥羽越列藩同盟に加盟。
秋田戦争などで新政府軍と戦い、
敗れた後は自ら首謀者としてその責を背負い、
新政府軍によって処刑されました。

列藩同盟への参加、新政府軍への降伏、
そして自らが全責任を負って処刑された事など、
三郎右衛門による適切な判断の結果、
山形城下は結果的に戦火を免れています。
これは三郎右衛門の功績であると、
山形では郷土の恩人続きを読む

山形県山形市 山形城跡

山形藩は幕政で失脚した大名の左遷藩という、
非常に不名誉な印象を受けている藩です。
確かに藩主家は12回も代わっており、
その理由も失脚によるものが多いようです。

とはいえかつては最上家の本拠地であり、
なんら忌み嫌われる要素があった訳ではありませんが、
表高実高の差が大きかったようですので、
懲罰的転封続きを読む

山形県天童市 吉田大八関連史跡

吉田大八守隆は江戸家老吉田守寛の子の生まれ、
15歳で家督を継ぎ、大目付武具奉行
藩校養正館督学などの要職を経て中老に昇格。
当時の天童藩は慢性的財政難に苦しんでおり、
下級藩士ほど生活は苦しく貧窮にあえいでいたという。

大八は藩士の救済策の一つとして将棋駒の製作続きを読む

山形県天童市 天童陣屋跡

織田信長本能寺の変明智光秀に討たれますが、
その嫡男織田信忠も同じく二条城で討たれています。

織田宗家の家督は清須会議において話し合われ、
羽柴秀吉の推す信忠の嫡男三法師に決定。
これに信長の次男… 続きを読む