小笠原真方は寛文7年(1667)に、
小倉藩2代小笠原忠雄の家督相続の際、
1万石を内分分知されて諸侯に列しました。
新田藩であった為に特定の領地を持たず、
藩主は江戸に定府していたようですが、
初期の藩主は小倉へ戻っていたようです。
※3代までの墓所は小倉の… 続きを読む
「小倉藩」タグアーカイブ
福岡県北九州市 小倉宮本家墓所
手向山は小倉藩家老宮本伊織貞次が拝領し、
山頂に養父宮本武蔵を偲んだ碑を建て、
代々の墓所とした場所でした。
※当時は田向山と呼ばれていたという。
山は後の明治20年に陸軍に接収。
下関要塞の砲台構築の為に、
山麓に墓地を移転しています。
「… 続きを読む
福岡県田川市 猪膝宿跡
猪膝宿は天正8年(1580)頃、
中村国武という人物が開いたとされる宿場。
当時の香春~大隈間には宿場がなく、
旅人が困っているのを見て、
猪膝に宿駅を開いたという。
田川市猪国周辺。緑の線が街道筋で、
赤丸で囲んだ辺りが宿場のあった場所。
「猪膝宿の図」。
南構口外にある中村公園の案内板。… 続きを読む
福岡県北九州市 徳力宿跡
徳力宿は秋月街道の宿場町でしたが、
遺構は開発の為に完全に無くなっています。
「モノレール徳力嵐山口駅」。
遺構が皆無な宿場町跡は多くありますが、
徳力宿は道そのものも更新されており、
実際の宿場の正確な位置も不明です。
「小嵐山と紫川」。
徳力宿は完全に消失していますが、
秋月街道は紫川に沿って続き、… 続きを読む
福岡県北九州市 呼野宿跡
呼野は秋月街道の宿場町だった場所ですが、
その面影は殆ど残っていません。
小倉南区呼野周辺。緑の線が街道筋で、
赤丸で囲んだ辺りが宿場のあった場所。
「呼野宿跡」。
古そうな家も多少はあるようですが、
殆ど改修が施されているようです。
「札の辻」。
宿場中央付近の札の辻。
写真中央はお糸地蔵尊御堂… 続きを読む