小笠原家」タグアーカイブ

東京都文京区 龍光寺/唐津小笠原家墓所

龍光寺は文京区本駒込にある臨済宗寺院。
伊勢龍光寺25世虎伯大宣が幕命で出府し、
小笠原忠知京極高和ら幕閣が開基となり、
寛永9年(1632)に創建されました。
都内唯一の臨済宗東福寺派寺院とのこと。


本堂」。
本堂続きを読む

福岡県豊前市 千束藩小笠原家墓所

小笠原真方は寛文7年(1667)に、
小倉藩2代小笠原忠雄の家督相続の際、
1万石を内分分知されて諸侯に列しました。
新田藩であった為に特定の領地を持たず、
藩主は江戸定府していたようですが、
初期の藩主は小倉へ戻っていたようです。
※3代までの墓所は小倉の続きを読む

佐賀県唐津市 近松寺/唐津藩小笠原家墓所

近松寺鎌倉時代の創建とされ、
戦国時代波多守親が再興していましたが、
兵火で伽羅を焼かれた後に、
唐津に入封した寺沢広高が再び再興し、
寺沢家の菩提寺となりました。

しかし次代寺沢堅高島原の乱の責で自害。
寺沢家は断絶した為に寺運が衰退します。… 続きを読む

兵庫県姫路市 法性寺/安志藩小笠原家墓所

安志藩小笠原家の領内菩提寺は法性寺
小笠原長興安志藩に入った際に建立され、
小笠原家の庇護を受けて隆盛しました。
廃藩後は規模を縮小しています。


法性寺本堂」。
本尊は木造薬師如来座像
堂内に藩主一族の位牌が安置されており、
老朽化の為にSRC製となっています。

歴代藩主のうち領内で死去したのは、
2代… 続きを読む

兵庫県姫路市 安志陣屋跡

小笠原宗家の小笠原秀政と長男小笠原忠脩は、
大坂夏の陣天王寺の戦いで壮絶に戦死。
忠脩の遺児小笠原長次が幼少であった為、
家督は秀政の次男小笠原忠真が相続します。
長次は忠真の許で養育された後、
別家に興されて龍野藩6万石に封ぜられ、
後に… 続きを読む