池ノ原公園は渡辺崋山の終焉の地で、
晩年を過ごした場所。
現在は史跡公園となっています。
崋山は蛮社の獄で国許蟄居を命じられ、
ここあった池ノ原屋敷に移住しました。
「池ノ原公園」。
池ノ原屋敷周辺は公園化されており、
和室と茶室を備えた施設や、
散策路が整備されています。
「崋山先生玉碎之趾(左)」碑、
「不忠不孝渡邉登(右)」碑。
東郷平八郎揮毫による崋山の顕彰碑と、
崋山が死に及ぶ際に大書した七言絶句の碑。
「渡辺崋山幽居邸宅」。
崋山の招集した農学者大蔵永常の屋敷で、
周辺を油菜や砂糖黍等の農場とし、
特産品の試験栽培がされていたようで、
御産物屋敷と呼ばれていたようです。
とはいえなかなか成果は出せず、
大蔵は崋山の失脚で田原藩を追われ、
当時は空き家となっていました。
これを崋山一家が蟄居屋敷とし、
その晩年を過ごしています。
屋敷はいつのまにか取り壊されたようで、
この幽居邸宅は復元されたもの。
「渡邊崋山」像。
崋山はここで読書や絵を描いて、
畑を耕す毎日を送っていたようですが、
貧しい暮らしであったようです。
座敷にはたまにヘビも紛れ込んだようで、
崋山はその度に胆をつぶしていたという。
師の生活が少しでも良くなればと、
門人福田半香らは崋山の描いた絵を売り、
生計を助けようとしましたが、
これが慎まずに金儲をしているとされ、
崋山は藩の迷惑となる事を恐れて、
製糖小屋として使われていた納屋で自刃。
良かれと思って弟子がやった事が、
崋山を死に追いやる事になっています。
福田は死の原因をなった事を生涯後悔し、
死んだら地下で崋山に謝罪すると遺言し、
遺言どおり渡辺家菩提寺に葬られています。
※東京都文京区の善雄寺。
■関連記事■
・愛知県田原市 城寶寺/渡辺崋山墓所
渡邊崋山の墓所。
・愛知県田原市 華山神社
崋山を祀神とした崋山神社。
・愛知県田原市 田原城跡
田原藩三宅家の居城跡。