東京都港区 金地院/八戸藩南部家墓所

金地院は港区にある臨済宗の寺院。
徳川家康の政治顧問以心崇伝が開山し、
江戸での拠点としていたとされます。
かつては江戸城内にあったようですが、
崇伝の死後に現在地に移転。
八戸藩南部家麹町南部家が菩提寺とし、
その墓所になりました。


東京タワー」。
金地院は東京タワーの脚元にあります。
遠くからは何度か見た事はありますが、
真下から見上げるのは初めての経験。


金地院」。
本堂空襲によって焼失したようで、
現在は鉄筋コンクリート製になっています。


南部家墓所」。
南部家の墓所は本堂から右へ行って、
金地院墓地に入ってすぐの場所。


天祥院殿前遠州太守月澗宗真大居士」。
八戸藩2代藩主南部直政の墓。
初代藩主南部直房の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
非常に才覚のある人物であったようで、
将軍徳川綱吉の側用人も務めていましたが、
治世では凶作が相次いだようです。
毒殺説あり。


正見院殿前甲州太守
 覺雲宗智大居士(右)」、
寶性院殿前甲州太守
 禪岩宗安大居士(左)」。
八戸藩4代南部広信と6代南部信依の墓。
4代広信は3代南部通信の長男で、
父の死去に伴い家督を相続しましたが、
25年の治世の殆どが凶作でした。
6代信依は5代南部信興の長男に生まれ、
父の隠居に供なって家督を相続。
武芸練習所を設置して武芸を奨励しますが、
凶作が相次いで財政は逼迫しており、
持病で17年の治世で隠居しています。


簫成院殿韶巌宗義大居士(右)」、
仙渓院殿前勢州太守
 仁道宗壽大居士(中)」、
梅林院殿檀岸宗海大居士(左)」。
右から、
八戸藩8代南部信真の長男南部信経
八戸藩7代南部信房
八戸藩8代南部信真の次男南部信一の墓。
7代信房は6代南部信依の長男。
治世では天明の大飢饉が発生しており、
城下の大商人達に多くの借金したり、
領内で御用金を徴収したりしています。
信房の両脇は早逝した8代信真の子ら。


惇徳院殿前左金校尉仁峰宗榮大居士」。
八戸藩8代南部信真の墓。
6代信依の三男として生まれ、
実兄である7代信房の養嫡子となり、
信房の隠居に伴い家督を相続しました。
野村軍記を登用して藩政改革に取り組み、
財政を好転させることに成功。
城主格にも昇進していますが、
相次いで息子に先立たれる不幸に苛まれ、
薩摩藩から養子を迎えています。

金地院には宗家の墓所もあり、
奥方や世子らの墓がありました。

向い側は盛岡藩の藩主正室の墓。
藩主の墓より大きな五輪塔が並びますが、
崩れて荒れている様子です。


恭雲院殿従五位下
 前布護霊嶽宗光大居士」。
盛岡藩の世嗣南部実信の墓。
盛岡藩4代藩主南部行信の次男で、
長男が幼くして死去していた為に、
継嗣となっていましたが、
24歳で病死してしまっています。

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