出羽松山藩8代藩主酒井忠匡の墓所。
「正三位子爵酒井忠匡之墓」。
出羽松山藩8代酒井忠匡の墓。
7代藩主酒井忠良の三男で、
藩は宗家の庄内藩と共に戦い、
新政府軍に降伏しており、
父はこの責で強制隠居となります。
この為に僅か12歳で家督を相続。
明治2年に知藩事となり、
伊予松山との混同を避ける為に、
地名及び藩名を松嶺と改称しました。
廃藩置県後に東京へ移住し、
明治17年に叙爵されて子爵となり、
明治44年に死去しています。
「従四位子爵酒井忠晄之墓(右)」、
「子爵酒井夫人榮子之墓(左)」。
9代当主酒井忠晄夫妻の墓と、
8代忠匡夫人榮子の墓。
最後の藩主忠匡の子ですが、
その誕生は明治20年と明治中期。
忠匡の死去に伴い家督を継ぎ、
大正12年に死去しています。
隣は8代忠匡の継室の墓。
墓所は谷中霊園内の天王寺墓地。
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