東京都中野区 今川家墓所

櫛羅藩永井家吉良家と同じ墓地に、
今川家の墓所もあります。

戦国時代東海一の弓取りと謳われ、
東海道に広大な領土を持った今川義元は、
上洛を目指す途上で織田信長に討たれ、
これにより今川家は衰退していますが、
跡を継いだ今川氏真徳川家康に庇護され、
僅かな知行を与えられて存続。
次代今川直房高家の家格を与えられ、
吉良家と共に儀典関係に関わりました。
今川家は吉良家の分家にあたり、
足利家の一門であった高貴な家柄で、
江戸期の当主11人のうちで、
6人が高家職(役職)に就任。
特に高家今川家初代直房は、
従四位下左近衛少将にまで昇進し、
今川家中興の祖とされています。


今川家墓所」。
今川氏真の弟一月長得(今川長得)の墓と、
今川家一族の墓。
氏真は市ヶ谷萬昌院に葬られ、
後に萬昌院が中野に移転した際に、
杉並の観泉寺に改葬されました。
蔵春院(氏真正室、北条氏康娘)も改葬。
今川家は後に菩提寺を観泉寺に移しており、
ここには当主の墓は無いようです。

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