文久3年の生野の変に敗れた澤宣嘉は、
田岡俊三郎、森源蔵、高橋甲太郎と脱出。
追手から逃れる為に讃岐や伊予に潜伏し、
その後に長州に渡りました。
長州では阿武郡生雲村、大津郡三隅村、
大島、越ヶ浜と転居して潜伏を続け、
阿武郡大井村の河野徳右衛門方を経て、
慶応元年に弘誓寺に落ち着きました。
「澤宣嘉卿潜居跡地」。
弘誓寺は明治初年に廃寺となっており、
寺地は民家となっています。
少し登った場所に民家の個人墓地があり、
片隅に高橋甲太郎の墓があります。
「純忠源重健之墓」。
出石藩士高橋甲太郎の墓。
森源蔵とは四国へ渡る際に別れ、
田岡俊三郎とは下関に渡った後に別れ、
最後まで付き従ったのは高橋甲太郎のみ。
その彼も澤と別れて幕長戦争に参加し、
負傷して戦病死しています。
ここに墓があるのは潜伏した縁で、
弘誓寺の住職が建立したものと思われます。
「観音堂」。
聖観音を祀る観音堂。
ここから山手に登ると阿字雄の滝があり、
その近くの観音堂に祀られていたものが、
こちらに移転しているようです。
因みにこの後ろの民家が弘誓寺跡。
澤は慶応元年5月15日より2年8ヶ月間、
この弘誓寺に潜居していたようで、
在居中は地元有志の訪問を受け、
色紙や短冊等を残したとのこと。
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