明治9年に起こった秋月の乱は、
熊本で起こった神風連の乱に呼応し、
旧秋月藩士の秋月党が挙兵した反乱。
秋月党は旧豊津藩士杉生十郎らと同時に、
決起を画策していたようで、
豊津へ向い同志と合流しようとします。
ところが旧豊津藩士らは挙兵を断念し、
杉生十郎ら挙兵派を監禁していました。
秋月党は彼らに改めて決起を促しますが、
旧豊津藩士らは小倉鎮台に連絡しており、
乃木希典の部隊が駆け付けて秋月党と交戦。
秋月党は死者17名を出し、
江川村栗河内へ退却しました。
この甲塚墓地の墓は、
その戦死した17名の合葬墓です。
「秋月士族戦死墓」。
左は戦死した秋月党の名前刻まれています。
前面に菊池武彦、白根増之進、
宮崎伊六、小森棒弥
左面に森真二、森田程、
富永国美、平田一六
右面に土岐多門、小幡多次右衛門、
小幡林三郎、上村義平
裏面に尾石謙吉郎、見山喜平、
橋本直太郎、仁上兵衛門
あれ?16名しかいない・・・・。
名前のわからない戦死体があったのか?
それとも17名が間違いなのか?
もしかして書き忘れ??
※※ kiyoshi様よりご指摘があり、
「1名は遺族の手により、
遺骸を秋月へ連れ帰ったため、
豊津に眠る藩士は16名となっています」
とのことでした。
■関連記事■
・福岡県朝倉市 秋月陣屋跡
秋月藩の藩庁である秋月陣屋の跡。
・福岡県朝倉市 古心寺/秋月藩黒田家墓所
秋月藩黒田家の菩提寺。
・福岡県京都郡 甲塚墓地/郡長正の墓
甲塚墓地にある萱野権兵衛の次男の墓。
戦死者17名で間違いありません。
1名は遺族の手により遺骸を秋月へ連れ帰ったため、ここ豊津に眠る藩士は16名となっています。
>kiyoshiさま
コメントありがとうございます。
なるほど。それで1人足りなかったわけですね。
秋月の乱についてはまだまだ勉強不足です。
これからもご指摘お願いいたします。