妙恵会総墓所にある京都町奉行原思孝の墓。
「制節院殿前伊豫守原思孝君之墓」。
京都西町奉行原弥十郎思孝の墓。
妙恵会総墓所入口右側にあって、
立派なお墓なので調べてみると、
幕末期の京都西町奉行ではないですか!
詳しい経歴や系譜は不明ですが、
200俵取りの幕臣とのことで、
安政4年に奥右筆組頭を務めており、
安政6年には天璋院の用人になっています。
翌万延元年に京都西町奉行に昇進し、
それに伴い伊予守を名乗っていますが、
彼が西町奉行を務めた期間は、
万延元年9月15日~文久2年4月22日で、
安政の大獄後の不穏な時期。
詳しい事は判りませんが、
町奉行在任中に死去したようです。
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もうひとつの町奉行所跡。
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