西教寺は天台真盛宗の総本山。
詳細不明ながら聖徳太子の開基とされ、
室町時代に宗祖真盛上人が入って以降、
天台念仏の道場として栄えたとされます。
「総門」。
坂本城の城門を移築したもの。
坂本城は明智光秀の居城として知られ、
比叡山焼き討ち後に築城されています。
西教寺も焼き討ちの際に消失しており、
光秀はその復興を援助したとされ、
後に明智家の菩提寺としました。
坂本城は光秀討死後に弟明智秀満が自焼。
その後に丹羽長秀が再建したようですが、
大津城の築城に伴い廃城しています。
この門はその際に移築されたもの。
「勅使門」。
長い参道の先にある勅使門。
勅使門前を左折して宗祖太師殿へ。
「宗祖大師殿」。
明治11年に天台真盛宗として独立した際、
宗祖真盛上人を祀る為に建立さています。
「唐門」。
東面して建つ1間1戸の四脚門。
虹梁に麒麟が彫刻されています。
門を額縁に臨む琵琶湖は絶景との事ですが、
生憎の天気で絶景とは言い難いものでした。
「本堂」。
元文4年(1739年)再建の本堂。
本尊は木造阿弥陀如来坐像です。
国指定重要文化財。
「明智光秀一族の墓」。
西教寺は明智家の菩提寺となっており、
境内に一族の累代墓が建てられています。
「福月真祐大姉」。
光秀の正室照子の墓。
照子は妻木城主妻木範熙の娘で、
光秀に嫁いで3男4女を儲けており、
夫婦仲は非常に円満でした。
天正4年(1576)に照子は死去しており、
妻の葬儀に参列する習慣は無い当時、
光秀は西教寺で行われた葬儀に参列。
その死を悲しんだという。
ちなみに照子の三女玉は細川忠興に嫁ぎ、
後に細川ガラシャとなっています。
本堂西側の長い石段。
真盛上人廟への参道です。
「真盛上人廟」。
中心伽藍を見下ろす高台にある廟所。
真盛上人は比叡山西塔の慶秀に師事し、
天台宗の教学を学んでおり、
戒律と称名念仏の一致を唱え、
皇族や公家、守護職等に無欲と慈悲を説き、
廃寺となっていた西教寺を再興して、
真盛派の本拠本寺としました。
布教中の伊賀国西蓮寺で死去し、
分骨がここに納められているようです。
「本坊」。
ここからは有料です。
「秀岳宗光大禪定門位(右)」、
「福月眞祐大姉霊位(左)」。
明智光秀及び照子の位牌。
後方には2人の木造坐像が置かれています。
「客殿」。
元々は伏見城にあった桃山御殿で、
大谷吉継の母らの寄進により、
慶長2年(1597)に移築されたもの。
国指定重要文化財。
「大本坊庭園」。
境内には4つの庭園があります。
どれも見事な庭なのですが、
全て紹介する程造形が無いので、
ひとつだけ写真を載せておきます。
これは江戸初期の作庭とのこと。
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粉河観音宗の総本山寺院。
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東京にある天台宗別格本山。