美玉三平も寺田屋騒動の関係者ですが、
後に生野の変に参加して敗死しています。
「美玉三平之墓」。
薩摩藩士美玉三平の墓。
美玉の本名は高橋裕次郎親輔といい、
兵学に通じた人物であったという。
清河八郎と知り合って[虎尾の会]に加入し、
行動を共にして尊攘運動に参加。
寺田屋騒動の際には2階にいたようで、
斬り合いが収まった際に投降し、
藩邸に収容された際に脱出したか、
投降した際に窓から逃亡したとされます。
その後に長州に逃れており、
文久3年に河上弥市や平野国臣らと共に、
天領生野で挙兵していますが、
鎮圧されて農兵に殺害されました。
■関連記事■
・京都府京都市 寺田屋
薩摩藩の伏見の定宿であった寺田屋。
・兵庫県朝来市 生野代官所跡
美玉らが襲撃した生野代官所跡。
・兵庫県朝来市 山口護国神社
生野義挙士を祀る招魂社。
