①/②
旧毛利家本邸は公爵毛利元昭が、
明治25年に明治天皇から承認を得て、
大正元年着工して4年後に完成した邸宅。
前当主毛利元徳の定めた家憲によって、
公爵毛利家本拠は山口県に定められた為、
これに従って多々良の地に建てられました。
9年前に訪問して以来の再訪。
前回の写真は酷いものでしたので、
再度訪問したいと思いつつも、
なかなか来ることが出来ませんでしたが、
今回時間が出来たので記事とします。
「本門」。
旧毛利家本邸の表門である本門。
往時は両脇の脇門のみ開かれていたという。
本門より本邸までは結構歩きました。
江戸期の建物とは違い車の乗入れが前提で、
道は石段等はなく車道となっています。
「前庭」。
中央に灯籠とヤマモモ、サツキを配置し、
その奥に本邸の車寄があります。
本邸は大正時代の建築ながら和風建築。
しかし随所に当時の最新技術が使用され、
快適な生活が出来ていたとされます。
「車寄」。
本邸の玄関にあたる車寄。
唐破風屋根に如輪目槻板の格天井で、
侯爵家本邸の威厳を示しています。
「応接室」。
玄関入ってすぐ右側にある応接室。
広い本邸の中で唯一の洋間です。
この部屋で応接が行われた模様。
「客間(大広間)」。
大書院形式を踏襲する大広間。
天井には格天井が用いられています。
推測するに一般の客(記者等)は応接室で、
親しい客や上客はここに通したのでしょう。
順路どおりに大広間の後に2階へ。
「2階客間」。
こちらも1階と同様の大広間となっており、
三ノ間、次ノ間、広間と続いています。
但し格天井は広間のみ。
「広間(一ノ間)」。
奥に水屋が併設されている為、
湯茶や食事が提供されたとされます。
庭園が望める廊下。
推測するに2階は招待された客が通され、
素晴らしい庭園の眺めと茶や食事等で、
客がもてなされたものと思われます。
「毛利氏庭園」。
2階から見た毛利氏庭園。
毛利氏庭園は本邸南に広がっており、
8万400㎡の広大な敷地を要しています。
こちらはまた後から行く予定。
1階に戻る。
大広間横の廊下を通り奥へ。
「中庭」。
中庭は2つありますが、
こちらは手前側の中庭です。
つづく。
①/②
■関連記事■
・山口県防府市 毛利博物館
前回訪問時の記事。
・山口県防府市 三田尻御茶屋跡
毛利本家の本邸となっていた御茶屋跡。
・山口県萩市 指月城跡
長州藩毛利家の居城跡。
