兵庫県姫路市 黒田職隆墓所

福岡藩黒田家藩祖黒田官兵衛孝高(如水)は、
播磨国御着城城主小寺政職の家臣でしたが、
後に豊臣秀吉に仕えて大大名となっており、
その子黒田長政は福岡藩を立藩し、
江戸時代を通じて続きました。

市川下流東側の妻鹿の住宅地に、
藩祖の父黒田職隆の墓所があります。

黒田職隆廟所」。
地元で[筑前さん]と親しまれる墓所。
職隆は天正13年(1585)に62歳で死去し、
この地に葬られたようですが、
その後の動乱や黒田家の移封等によって、
墓所の存在が失われていたようです。
その後は長らく知られていませんでしたが、
天明3年(1783)に心光寺の僧入誉により、
9代藩主黒田斉隆に墓所発見が言上され、
藩によって墓所の整備が行われました。


黒田職隆墓」。
霊屋付きの黒田職隆の墓。
職隆は父の代より小寺政職に仕えており、
戦功を挙げて家老に就任しています。
永禄10年(1567)に嫡男官兵衛に家督を譲り、
以後は隠居の身で息子を支え、
孝高が荒木村重に幽閉されている間は、
臨時に当主の座に復帰しており、
主家である小寺家に反して織田家を支持。
孝高の救出後に再び当主の座を譲り、
後に姫路城留守居役も務めました。

この職隆の廟所は御着宿重隆廟所と共に、
福岡藩黒田家より大切にされたようです。

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