長州藩の永代家老家である須佐益田家は、
元々は島根県益田市周辺を領した豪族。
その居館は三宅御土居と呼ばれていました。
「三宅御土居鳥観図(現地説明板より)」。
南北朝時代に11代益田兼見が築いたとされ、
周辺の物資流通を管理していたという。
代々当主はここを本拠としますが、
安芸毛利家と対立した際には、
19代益田藤兼が七尾城に本拠を移転。
やがて毛利家の傘下となって戻ると、
20代益田元祥が大改修を施しました。
※須佐益田家初代。
その後に毛利家が周防2州に減封されると、
益田家は約400年支配した益田を離れますが、
益田と程近い須佐を領地をしています。
「おどい広場」。
三宅御土居跡の発掘調査が行われた後、
その調査結果を示した広場を設置。
木組み井戸や東屋が置かれています。
「東土塁跡」。
おどい広場の東側にある土塁跡で、
近年まで墓地となっていたようです。
現在は他所に墓は改葬されている模様。
いずれ整備されて昔の姿を現すのでしょう。
「三宅御土居跡」。
西側の空き地が実際に御殿があった場所。
多くの出土品が発掘されたようで、
礎石や掘立柱の跡も発展されており、
何度も建て替えられた形跡があるという。
「西土塁跡」。
西側の土塁跡も墓地となっていたようで、
こちらも改葬作業は終わっています。
良い感じの小高い場所だったので、
いつのまにか墓地になったのかもしれません。
個人的な意見ではありますが、
益田家が須佐を領したのは偶然ではなく、
旧領近くを所望したのではないでしょうか?
いつの日か旧領に復帰する事を願い、
すぐに取り戻る場所に陣取っていたのかも?
そんな気がしてならないのです。
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須佐益田家の菩提寺。
