熊本県菊池市 鞠智城跡

鞠智城米原台地に広がる古代山城
白村江の戦いに敗れた大和朝廷が、
本土防衛の為に築いた城のひとつで、
水城大野城基肄城と同時期に建設し、
位置的には最も後方にありました。


鞠智城跡」。
鞠智城跡は標高約90~171mの高地にあり、
城周長は自然地形を含めて約3.5㎞で、
面積は約55haと巨大な城。
跡地は建物跡の遺構等が発掘されており、
八角形鼓楼米蔵等が復元されています。


鞠智城温故創生之碑」。
群像と台座のモニュメントで、
鞠智城跡整備事業を記念して建立。
警護を担当した防人とその妻子
鞠智城築城を指揮した億礼福留
巫女鳳凰が台座に立ち、
その台座に大化の改新百済滅亡
白村江の戦い鞠智城築城鞠智城の異変
米原長者伝説がレリーフで描かれ、
万葉集防人の歌が刻まれています。


八角形鼓楼」。
鞠智城跡では八角形建物跡が発見されており、
これは他の古代山城跡で例が無いという。
この建物跡は4基発見されており、
元々2基建てられていたものを、
別の場所に建て替えたと考えられています。
但し遺構は礎石が発見されただけであり、
絵図文献があるわけではないので、
このような朝鮮式の建物だったかは不明。


米倉」。
20個の礎石や多量の炭化米が出土し、
これを持って米倉として復元したもの。
高床式で壁面は校倉造となっています。


礎石遺構群」。
復元された建物はほんの一部で、
他は礎石が並べられています。


兵舎」。
掘立柱のかまぼこ型の兵舎
8.0×26.6mの大型の建物で、
同規模のものが2基並んでいた模様。
このことから防人が寝起きした兵舎とされ、
50人程度が生活していたと考えられています。


板倉」。
こちらは瓦が出土しなかった為、
茅葺で復元されています。
構造や配置から兵庫(武器庫)とされています。

小高い丘「長者山」へ。

展望休憩所」。
古代建築の意匠を採り入れた休憩所で、
これは復元建物ではありません。
この建物がある長者山には昔話があります。
大富豪の米原長者がその財力で、
広大な田んぼの田植えを行いますが、
その日に田植えが終わらなかった為に、
金の扇で沈んだ太陽を呼び出して、
小作人に田植えを続けさせ、
更に油3000樽を燃やして明かりを灯し、
最後まで田植えを続行させました。
しかしその傲慢さから天罰が下り、
倉が出火して財産を失いました。
周辺で見つかっていた炭化米は、
その時に燃えた米である考えられており、
長者山は米原長者の倉があったとされます。
実際に鞠智城の倉があったとされ、
現在は開墾で消失していますが、
開墾前は礎石群があったようです。


長者山の先は谷になっており、
その先には灰塚と呼ばれる場所があります。
ちょっとしんどいですが行ってみましょう。


灰塚」。
展望所となっている小高い丘。
出城のような感じだったか、
見張台のようなものだったのでしょう。
灰塚と呼ばれるからには、
それなりの理由があるのでしょうが、
よくわかりません。

100名城制覇(?)の為に古代山城も訪問。
九州の100名城の古代山城は、
残すは吉野ヶ里と対馬の金田城のみです。
※吉野ヶ里は日本100名城で、
 金田城は続日本100名城。


日本百名城

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