奥の院墓地にある池田恒興の墓所。
「因幡之國鳥取城主池田候之墓所」と、
墓碑内に石柱が建てられています。
この為に鳥取藩池田家のようですが、
被葬者は織田家重臣だった池田恒興で、
岡山藩池田家の藩祖池田輝政の父。
鳥取藩池田家墓所のようになっていますが、
施主は池田輝政となっていますので、
正確には岡山藩池田家の墓所です。
但し岡山藩池田家も鳥取藩時代があるので、
全くの間違いではありません。
「護国院殿前紀伊大守
雄岳宗英大禅定門菩提」。
池田宗家家祖池田恒興の藩。
池田家は織田家譜代の家臣で、
恒興は幼少時より織田信長の小姓となり、
以後は信長の覇業に付き従いました。
信長の死後に行われた清須会議では、
4人の宿老のひとりとして参加。
羽柴秀吉の味方となって行動し、
小牧長久手の戦いにも参陣していますが、
嫡男池田元助と共に討死しています。
家督は次男池田輝政が相続しており、
後に徳川家康の娘督姫を娶りますが、
その挨拶で家康の屋敷を訪れた際、
父恒興を討った永井直勝と対面。
輝政は父の最後の様子を語らせますが、
直勝の知行が5000石だと知ると、
父の首が5000石程度かと嘆いたという。
※後に直勝の加増を家康に訴えたとされ、
永井家は大名に昇進しています。
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