米山寺は三原市沼田東町にある曹洞宗寺院。
小早川氏嫡流の沼田小早川家の菩提寺で、
歴代当主の墓所となっていました。
「本堂」。
仁平3年(1153)に天台宗寺院として壮健され、
嘉禎元年(1235)に小早川家3代小早川茂平が、
念仏堂を建立して氏寺としました。
寺宝として「絹本著色小早川隆景像」があり、
国の重要文化財となっています。
「小早川家墓所」。
20基の宝筐印塔が整然と並ぶ小早川家墓所。
始祖土肥実平、2代遠平、3代小早川景平、
4代茂平、5代雅平、6代朝平、7代宣平、
8代貞平、9代春平、10代則平、11代煕平、
12代敬平、13代扶平、14代興平、15代正平、
16代繁平、そして隆景の墓が並びます。
国指定重要文化財。
「小早川平隆景郷墓」。
17代当主小早川隆景の墓。
小早川隆景の墓所は7つありますが、
この墓が本墓のようです。
隆景は毛利元就の三男として生まれ、
竹原小早川家の養子となり家督を相続。
更に嫡流の沼田小早川家も相続して、
両小早川家を統一しました。
父の覇業を兄吉川元春と共に補佐し、
主に山陽方面を担当。
毛利家が豊臣秀吉の傘下となると、
兄とは違い積極的に秀吉に貢献し、
秀吉の直参として扱われます。
更に主家の毛利家と同列の五大老となり、
豊臣家家臣団で重きを成しますが、
秀吉が毛利家に甥を養子に送ろうとすると、
自ら願い出てこれを養嫡子にして阻止.
既に養嫡子としていた小早川秀包を廃嫡し、
その甥小早川秀秋に家督を譲りました。
隠居後は三原城で余生を過ごし、
慶長2年(1597)に死去。
次代の秀秋は関ケ原の戦い後に加増され、
岡山51万石の大大名となりますが、
継嗣無く死去して小早川家は無嫡断絶。
廃嫡された秀包は別家を興していましたが、
関ケ原で西軍に加担した為に改易され、
毛利家に召し抱えられて毛利姓に復帰し、
※秀包は元就の九男で隆景の弟だった。
子孫は吉敷毛利家として続きました。
■関連記事■
・山口県山口市 泰雲寺/小早川隆景墓所
小早川隆景の墓所のひとつ。
・福岡県宗像市 宗生寺/小早川隆景墓所
小早川隆景の墓所のひとつ。
・下関市中之町 引接寺/小早川隆景墓所
小早川隆景の墓所のひとつ。
