試撃行日譜⑥

続き。
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万延元9月9日。半晴。
鹿沼を発ち二里で道が分れ壬生道を進む。
壬生松本五郎兵衛への使いを頼むと、
程なく帰って来て旅宿を紹介してくれた。
栃木県下都賀郡 壬生宿跡
※松本五郎兵衛は聖徳太子流の剣術家。
 壬生藩は譜代大名鳥居家が治めます。
 野州壬生は剣術が盛んな地として有名。

日暮れに松本の門人某が来て、
明朝試合をしてくれるとの事。
某曰く
佐賀藩士が来ているので、
 同時に試合をしたい
その某が帰ると、
次は肥前人田中龍之助が面会を求めてきた。
知人のように親しみのある人物で、
元々佐良雄蔵と申していましたが、
 今は養子となって名が変わっています。

 以前、尊藩で内藤作兵衛殿の教えを請い、
 10年ほど留まって稽古を行いました
」。
それを聞いて手を打って、
佐良殿でしたか!貴方が我藩に来たときは、
 私はまだ少年でした
」と答えた。
※やっとこさ試合にありつけるようです。
 田中龍之助は一緒に試合をするのが、

 長州人と聞いて訪ねて来たのでしょう。
 内藤作兵衛は長州藩の柳生新陰流師範。

 晋作は彼より新陰流を習っていますが、
 少年時代に剣術修業に来ていた田中に、

 会っていたようです。
 結構年長者だということですね。

・・・・・で、詳細な旅日記は終了(驚!)。
松本五郎兵衛との試合は?田中龍之助は?
以下、出来の悪い小学生の日記がスタート。
松本にコテンパンにやられて、
書く気が失せたのでしょうか?
松本側の話では3本勝負で、
晋作は1勝も出来なかったとか。

記載は横井小楠著書の写しや、詩、メモ等。
とりあえず旅の道筋がわかるもので、
足取りをさぐります。

万延元年9月10日 半晴  淹留。
万延元年9月11日 晴云々 淹留。
万延元年9月12日 天陰 雪降 壬生駅を出発。
足利駅に泊まる。
※酷いものです。
 あれだけ情緒ある日記を書いてたのに残念。
 晋作の気分屋度合がこれでわかりますね。



9月9日~12日の行程

続く。

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