大坂城を退去した織田有楽斎は、
京都に隠遁して茶の湯に専念しますが、
自らの所領であった3万石のうち、
2万石を四男織田長政に、
1万石を五男織田尚長に分与しました。
そのうち四男長政の系譜は、
芝村藩として江戸時代を通じて継続。
※五男尚長の系譜も柳本藩として継続。
「桜井市立織田小学校」。
芝村陣屋跡は現在の織田小学校の敷地。
陣屋をイメージした校舎がなかなか良い。
校名の織田は藩主家から名付けられました。
外壁の石垣は陣屋当時のもので、
安全の為コンクリートで補強されています。
元々は3km南の戒重村に陣屋があり、
7代藩主織田輔宜の頃に移転。
移転頃より幕府領9万余石を預かって、
預かり地の年貢3%が収入となり、
藩の財政は潤っています。
しかし預かり地の徴収を過酷にした為、
領民が芝村藩の統治の不満を幕府へ訴え、
稲刈りのストライキを行いました。
※通常五公五民のところ、
七公三民以上だったという。
この事態に幕府は首謀者を処罰しますが、
芝村藩の預かり地は全て没収となります。
(芝村騒動)。
以降よりまた藩財政は困窮する事となり、
財政改革を行うも効果なく、
幕末期には膨大な借金を抱えていましたが、
それでも天誅組の乱の鎮圧に参加する等、
一定の功績は挙げていたようです。
幕府が崩壊すると預かり地統治の実績から、
高取藩と共に幕府領の取締を命じられ、
以前の失敗を経験した為か、
それほど厳しい徴収はされなかったという。
【芝村藩】
藩庁:芝村陣屋
藩主家:長政流織田家
分類:1万石、外様大名
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