氣比神宮は越前国一宮。
神功皇后が三韓征伐出兵の際、
気比神から海神を祀るよう神託があり、
穴門(下関)に向かう途中に、
海神から干と満の珠を得たという。
※後にこれが干珠、… 続きを読む
福井県敦賀市 氣比神宮
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氣比神宮は越前国一宮。
神功皇后が三韓征伐出兵の際、
気比神から海神を祀るよう神託があり、
穴門(下関)に向かう途中に、
海神から干と満の珠を得たという。
※後にこれが干珠、… 続きを読む
道口は古くは三ノ口と呼ばれ、
古来よりの交通の要所でした。
南側の塩津海道から入ると、
若狭道、敦賀道、木ノ芽道に分岐します。
敦賀市道口周辺。緑の線が塩津海道で、
青い線が若狭道、紫の線が木ノ芽道。
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。
「道口宿跡」。… 続きを読む
疋田宿は塩津海道と西近江路の追分の宿場。
街道筋に舟川(敦賀運河)が引かれ、
古い家屋が並ぶ街並みが残っています。
敦賀市疋田周辺。緑の線が西近江路で、
青い線が塩津海道。
街道が交わる赤丸辺りが宿場のあった場所。
「疋田宿跡」。
街道の中央に流れる疋田舟川。
往時は今の倍程の川幅であったという。… 続きを読む
栃ノ木峠は北陸街道の難所。
越前国と近江国の国境に位置し、
トチノキが群生していたという。
北陸街道は木之本宿から二手に分かれ、
一方は敦賀を経由して木ノ芽峠を越え、
二ッ屋宿を経て… 続きを読む
開禅寺は金沢市野町にある曹洞宗の寺院。
寛正元年(1460)に越中国守山に建立され、
慶長4年(1599)に金沢に移転したという。
加賀八家のひとつ長家の外護を受け、
長家の位牌寺として新保に移転し、
三間道を経て現在地に移転しています。
「本堂」。… 続きを読む
現在の七尾市街は昔より所口と呼ばれ、
古来より港があって栄えていたという。
七尾の名称は七尾城に由来し、
城地に7つの尾根があった為に、
七尾城と名付けられたようです。
前田利家が能登一国を拝領されると、
難攻不落の… 続きを読む
長家は能登国穴水の国人で、
室町時代より能登畠山家の家臣となり、
19代長続連は畠山七人衆の一人として、
能登畠山家中随一の勢力を誇りました。
しかし上杉謙信の能登侵攻が始まると、
七尾城に籠城して一度は撃退しますが、
二度目には親上杉派の遊佐続光… 続きを読む