吉田松陰まとめ」カテゴリーアーカイブ

福堂策 下 を読んでみる

[福堂策 上]を著した吉田松陰ですが、
同年9月に[福堂策 下]として追記を行い、
その策について補足しています

福堂策 下
政ヲ爲スノ要ハ、人々ヲシテ鼓舞作興シテ、

 政治を成す要は人々が鼓舞作興して、
各、自ラ淬属セシムルニアリ、
 それぞれ自らが励む事が重要である。
若、ソレヲシテ法度ノ外ニ自暴自棄セシメハ、
 それなのに法度の外に自暴自棄させるのは、
善ク政ヲ爲スト云ベカラズ、続きを読む

福堂策 上 を読んでみる


密航未遂を犯した吉田松陰は、
に送還されて野山獄に収監されます。
そこで囚人らと獄中勉強会を行い、
その経験から監獄をただ収監する場所とせず、
福堂とするべきであると考えました。
そして安政2年6月1日の夜に、
以下の[福堂策 上]を記しています。
※今回は漢文ではなく口語訳を読んでます。続きを読む

二十一回猛士の説を読んでみる


二十一回猛士吉田寅二郎松陰
そもそも松陰も彼の号なのですが、
この二十一回猛士もよく使用されました。
他の人物の号の多くは2文字か3文字で、
このような6文字は余り見かけません。
しかもカッコ悪い
※個人的意見です・・。
やはり松陰の方がしっくり来ます。
ただ松陰という号の由来は諸説あり、
有力な説として尊敬する高山彦九郎続きを読む

山口県萩市 吉田松陰先生東送之碑

板堂峠から約650m側に下ると、
吉田松陰先生東送之碑」が設置されています。


吉田松陰先生東送之碑」。
昭和58年に㈶松風会により建立されたもので、
その書は内閣総理大臣岸信介によるもの。
松陰は安政の大獄江戸続きを読む

吉田松陰の浦賀行③

//③
つづく。

6月7日、晴。
西浦賀に至り平根山に登る。
西浦賀には5門の大砲が連なり、
2~300挺のを皆が持ち、
海辺には番舟が数10隻並んでいる。
千代崎灯台下に至り… 続きを読む

吉田松陰の浦賀行②

/②/
つづき。

6月6日
早起きして加茂井に至り海を望む。
陸から十町程離れた場所に、
賊艦が四隻停泊している。
お互いの距離は皆5町程で、
そのうち二隻が蒸気船
Susquehanna(サスケハナ)、
 Mississippi
続きを読む

吉田松陰の浦賀行①

①//

吉田松陰ペリー浦賀に来航した際、
浦賀に赴いて見物しました。
今回はこれを追ってみようと思います。

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6月4日、晴。
渡邊春汀を訪ねるが不在。
※渡邊春汀は杵築藩の蘭医。続きを読む