①/②/③/④
つづき。
10月26日。
①小島を暁に舟を発して②島原に至る。
同舟には加來傳兵衛、桐原作右衛門、
伴九左衛門がおり、… 続きを読む
吉田松陰の長崎紀行④
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伝馬町獄舎は罪を犯した囚人達を、
集めて収容した施設で、
2618坪の敷地の周囲に掘が巡らされ、
その内を煉塀で囲んでいたという。
牢獄は東牢と西牢に分かれており、
東牢の大牢と二間牢… 続きを読む
揖斐川は古くから舟運に利用され、
上流の大垣や下流の桑名等へ、
物資の運搬や交通が行われていました。
川筋の各所には船着場が設けられており、
今尾の渡しもその一つだったようです。
今尾は大垣と桑名の間に位置する要所で、
大きな市も開かれていたとされ、
尾張藩御附家老竹腰家の陣屋町でもあり、… 続きを読む
有名な吉田松陰の[河豚食わざるの記]。
※原文は不食河豚説。
これを読んでみたいと思います。
世言河豚有毒矣、
世にいう河豚には毒があると。
其嗜之者特衆、
それでもこれを好む者は多い。
余獨不食、非懼死也、懼名也、
余は死を恐れず名を恐れるので食べない。
夫死者、人之所必有、
死は必ず人のところにやって来るが、
固不足懼也、
これを皆恐れない。
然死生亦大矣、… 続きを読む