乗蓮寺の報国隊士の墓を紹介しましたが、
※記事はこちら。
もう一つ報国隊士の墓があったようです。
中井源次郎忠一という18歳の隊士の墓。
乗蓮寺の供養観音像のすぐ横です。
「中井源次郎」の墓。
慶応2年6月17日豊前田ノ浦にて戦死。
享年18歳。… 続きを読む
報国隊は長府藩の諸藩のひとつで、
小倉戦争や戊辰戦争で活躍しました。
報国隊という名の隊は他藩にも多い為に、
一般的には長府報国隊、
又は長府藩報国隊と呼ばれます。
下関市は長府藩領だった場所が多いので、
長府以外にも隊士の墓が点在しています。
特に安岡地区から報国隊士が多く出ており、
隊士の墓をいくつか見つける事ができます。
安岡にある乗連寺… 続きを読む
地元民しか知らない抜道というものは、
全国どこにでもあるものですが、
僕も地元民の端くれですので、
市内の抜け道は少なからず知っています。
その中の小さな墓地があったのですが、
そこに長府報国隊軍監の墓があることを、
つい最近知りました。
下関市富任町6丁目付近
鳥山重信は長府藩士田原俊貞の長男で、
同藩士の儒学者臼杵駿平に漢学を学び、
後に臼杵家の養子になっています。
※臼杵哲平… 続きを読む
王子の鼻と呼ばれる岬に砲台が建設され、
二十四斤長加農砲が2門、
十八斤長加農砲が1門置かれました。
王子の鼻は半円状に海に突き出した岬で、
王子山と呼ばれた小高い丘がありました。
矢印の位置の赤い線(街道)が、
半円になってる部分が王子の鼻。
元治元年の下関戦争後に撮影された王子の鼻。
蔵が海沿いに並んで栄えていた所でした。
街道はその蔵の内側です。
写真には写っていませんが、
写真の左側に小高い丘(王子山)があり、… 続きを読む
奇兵隊の本拠地となった吉田の寺院は、
奇兵隊屯所として利用されていましたが、
今回の常関寺は野戦病院となっています。
「常関寺 山門」。
山の中腹にあり参道も急です。
重傷者が運び込まれたそうですが、
運び込むのも結構大変そうですね。
「常関寺 本堂」。
この本堂が病院施設となっていたそうで、… 続きを読む
かつて火の山には灯篭堂があり、
石灯篭が道標の役割をしていたそうですが、
現在はそのような石灯篭は見当たらない。
吉田松陰の[廻浦紀略]でも、
火の山の上に灯篭がある事を書いています。
現在日和山公園にある[つかずの灯篭]が、
その石灯篭だとされていますが、
※記事は… 続きを読む
日本も昔から法治国家なわけで、
法があるということは刑もある。
刑があるという事は刑場も必然的。
江戸時代の幕藩体制においては、
各藩の藩法に乗っ取り刑罰が行われ、
それぞれの藩ごとに刑場がありました。… 続きを読む