大砲のレプリカが並ぶ壇ノ浦周辺は、
下関の観光スポットの一つ。
歩いて門司に渡れる関門トンネルの人道や、
源義経と平教経の像などもありますが、
他に火の山に登るロープウェイもあります。
この火の山という山は、
海峡に添うようにそびえる山で、
名前から火山を想像しそうですが、
別に火山ではありません。
この山に… 続きを読む
大砲のレプリカが並ぶ壇ノ浦周辺は、
下関の観光スポットの一つ。
歩いて門司に渡れる関門トンネルの人道や、
源義経と平教経の像などもありますが、
他に火の山に登るロープウェイもあります。
この火の山という山は、
海峡に添うようにそびえる山で、
名前から火山を想像しそうですが、
別に火山ではありません。
この山に… 続きを読む
敵方の動向を探る一番有効な手段は、
間者(スパイ)を潜り込ませることでしょう。
幕府は各藩に隠密を潜り込ませましたし、
諸藩も京都や江戸等の各地に探索方など、
間諜を出していたらしい。
新撰組にも間者がいたようですし、
隊士も間者として粛清されています。
※これについての正否は不明。
壇ノ浦砲台と前田砲台… 続きを読む
関門海峡には関門橋が掛かっています。
勿論幕末当時は関門橋は掛かっておらず、
通行は渡船のみでした。
関門橋は昭和48年に開通した吊橋。
開通時点では東洋最長であったという。
関門海峡には稀に霧が発生するのですが、
その霧が対岸の門司を隠してしまうことも。
今回は偶然にも霧が発生しましたので、
写真に収めました。
それがこちら↓
殆ど関門橋が消えています。… 続きを読む
菊川町で船越清蔵関連史跡を訪ねました。
船越清蔵は清末藩士船越孟正の長男で、
藩校育英館に学んだ後に豊後に遊学して、
儒学者帆足万里や広瀬淡窓に師事します。
5年間の遊学を終えて帰ってきますが、
何か思うことがあったのか、
家督を放棄して在野に下りました。
諸国を旅して長崎等で蘭学や医学を学び、… 続きを読む
清末藩はわずか1万石の小藩ながら、
長州藩の支藩(正確には孫藩)として、
本藩家老並みの貢献をしています。
清末藩士達は藩主を助け、
七卿落ちや内訌戦、幕長戦争で活躍。
村上倫もその一人でした。
冷静沈着知略ありと称されたようで、
宗藩の… 続きを読む
維新後に廃城となった藩邸を処分する際、
民間に建物を払い下げる事がよくあります。
殿様の邸宅ですので造りが良いのか、
それとも藩邸という付加価値でしょうか?
清末藩でも建物が払い下げられ、
清末陣屋の建物が周辺に移築されてます。
今回訪問した長屋門もそのひとつ。
「清末陣屋長屋門」。
場所は清末千房1丁目の旧山陽道沿い。
民家の門として多少改修されていますが、
本体はそのまま残されています。
鬼瓦には清末毛利家の… 続きを読む