長州藩は幕府が発令した異国船打払令を受け、
北浦海岸に多くの台場を建設しましたが、
この[泊ヶ鼻台場]もそのひとつでした。
室津は室のように静かな港という意味で、
古来より漁村として栄えていました。
元寇では元の使者が室津で捕らえられ、
鎌倉に送られたとされます。
吉田松陰は[廻浦紀略]で北浦海岸を巡視中、
船上から室津を眺めました。
室津浜周辺(泊ヶ鼻の場所)… 続きを読む
「[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ
桂弥一の墓はどこ??
功山寺の長門尊攘堂や万骨塔を建立して、
幕末志士達の顕彰事業を行った桂弥一。
特に万骨塔は全国から石を集めてきて、
一箇所に集めた壮大なものです。
「萬骨塔」。
長州系の志士だけではなく、
土佐、薩摩、水戸などの名も見られます。
そんな桂弥一ですが自身の墓所は?
色々と探してみましたが、
どこにあるのかわからない。
功山寺に葬られた… 続きを読む
下関市長府 功山寺/福田扇馬墓所
長府藩の藩校であった敬業館は、
15歳以上の藩士子弟しか学ぶ事は出来ず、
この状況に嘆いた福田扇馬は私塾を開設し、
身分年齢を問わず生徒を受け入れました。
この福田扇馬の墓が功山寺にあります。
「福田正則之墓」。
福田扇馬正則は藩医の子として生まれ、
幼少より才智に優れて敬業館に学びますが、
足の病で自力で起き上がれない体となり、
自宅に[桜柳亭]という私塾を開いて、
子弟の育英に勤めました。
福田は敬業館で学んでいる頃より、… 続きを読む
下関市長府 功山寺/有川恒槌墓所
精兵隊発起人のひとり有川恒槌の墓が、
長府の功山寺にあります。
「有川紀綱神霊塚」。
有川家墓所の隅の古い墓石と共に、
並べられていました。
有川恒槌は別名有川紀綱ともいい、
長府藩士有川乃右衛門の長男として生まれ、
一を聞けば二を知ると噂されており、
幼い頃より秀才として周囲に知られ、… 続きを読む
下関市長府 功山寺/下村文次郎墓所
功山寺の墓地には三吉慎蔵や、
泉十郎、豊永長吉(印藤聿)、
三吉周亮等の墓があることが知られますが、
まだ多くの人物の墓があったりします。
有名どころ以外は説明板も無く、
無縁となったりしてるものは、
整備されずに草に覆われていたりします。
墓地内を歩き突状方柱型の墓石を見つけ、
没年が慶応や明治初期だったりしたら、
調べてみると意外な人物だった。
そんな感じで、… 続きを読む
下関市長府 正円寺/河崎董墓所
長府の商店街沿いにある正円寺は、
樹齢千年の銀杏樹が本堂前にそびえるお寺。
ここに洋式砲術家河崎董の墓所があります。
「正円寺正門」。
正円寺はもともと現在の位置ではなく、
北に1km行った山中にありましたが、
長府藩の政策で山陽道沿いに移されました。
本堂は明和3年(1766)に建立されたもの。… 続きを読む
下関市福江 長府報国隊士迫田為太郎の墓
長府報国隊の砲隊司令迫田為太郎の墓が、
下関市福江にあります。
下関市福江周辺。
地元の人以外知らないような山の墓地です。
「迫田為太郎源清治墓」。
迫田為太郎は福江村生まれの長府藩士。
長府報国隊に入隊しており、
小倉戦争では砲隊司令として活躍しますが、
戊辰戦争で北越軍会計主事として参戦し、
負傷して明治3年に戦病死しています。… 続きを読む