西国街道を横切る揖保川の東には、
正條宿という宿場町が設置されていました。
揖保川町正條周辺。緑の線が西国街道。
青でぼかした辺りが正條宿跡。
「正條宿跡」。
ちらほらと当時の建屋が残っており、
宿場町だった雰囲気は充分に感じられます。
往時は旅籠、問屋、馬借等180軒が並び、… 続きを読む
兵庫県たつの市 正條宿跡
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西国街道を横切る揖保川の東には、
正條宿という宿場町が設置されていました。
揖保川町正條周辺。緑の線が西国街道。
青でぼかした辺りが正條宿跡。
「正條宿跡」。
ちらほらと当時の建屋が残っており、
宿場町だった雰囲気は充分に感じられます。
往時は旅籠、問屋、馬借等180軒が並び、… 続きを読む
片島宿は正條宿と有年宿の間の宿場町。
龍野藩に管理されていたこの宿場には、
約80軒程の旅籠や茶屋等が、
街道沿いに立ち並んでいたという。
揖保川町原周辺。緑の線が西国街道。
青でぼかした辺りが片島宿跡。… 続きを読む
河井継之助は塵壺の中で、
「曽祢之天神を拝し松を見る」
と記しており、
曽根天満宮を参拝したようです。
「曽祢天満宮」。
菅原道真が大宰府へ向かう道中に、
伊保の湊から上陸して松… 続きを読む
「いちまーい、にまーい・・・」
悲しげな声で皿を数えるお菊の亡霊。
有名な皿屋敷の怪談です。
小寺則職が姫路城の城主だった頃、
※黒田官兵衛が仕えた… 続きを読む
三河国桜井を領した桜井松平家は、
宗家5代松平長親の次男松平信定を祖とし、
初代から4代松平忠正まで宗家に反抗し、
完全に従属するのは松平家康に敗れてから。
その後は5~7代まで20歳代で早逝し、
※7代松平忠頼は囲碁の喧嘩の仲裁に入り、
逆上した相手によって刺殺されています。
無嫡となって一時改易されていますが、… 続きを読む
山崎藩本多家の菩提寺である大雲寺は、
江戸時代初期に専誉上人が開山した寺院。
郡山新田藩より本多忠英が山崎藩に入封し、
本多家の菩提寺に定められました。
「山門」。
現在の山門は弘化2年再建のもの。
費用は千草屋平瀬家の寄進によって賄われ、… 続きを読む