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丸亀城は亀山という丘陵に建てられた平山城で、
総高日本一という4重の石垣を要しています。
※4重合わせて全高60m。
単体での日本一は大坂城の33m。
天守は全国12棟しかない現存天守。
他の現存建屋も多く残されており、
城好きがいつかは訪れたい城のひとつです。
「… 続きを読む
玄要寺は丸亀藩京極家の菩提寺で、
京極家の領地移転に伴って同じく移転し、
初代京極高和が丸亀に入封すると、
それに伴い現在地に移転しました。
但し京極家墓所は滋賀の徳源院のままで、
藩主は所領が変わっても徳源院に葬られ、
玄要寺は幕末期の藩主京極高朗の墓のみ。
支藩多度津藩京極家の墓所もあります。
※江戸の墓所は港区の… 続きを読む
丸亀藩2代京極高豊は正室との間に、
男児3人を設けますが相次いで早逝します。
後に側室との間に男児が生まれていますが、
翌年に再び正室との間に待望の男児が誕生。
継嗣は正室の子京極高或が選ばれますが、
高豊は側室の子京極高通の為に、
別家を新設を幕府に申請しました。
高豊は2年後に病没し高或が家督を相続。
高通… 続きを読む
国持大名であった京極高知は隠居の際、
嫡男の京極高広に宮津7万8000石を、
三男の京極高三に田辺3万5000石を 、
甥の京極高通に峰山1万石を与えています。
高通が元々持っていた3000石と合わせて、
1万3000石で峰山藩が立藩し、… 続きを読む
京極高次の弟京極高知は、
関ヶ原の戦いで東軍として戦い、
藤堂高虎隊と共に大谷吉継隊を相手に奮戦。
丹後12万3000石を与えられ国持大名となり、
京極丹後守を称しました。
高知の隠居後、
嫡男の京極高広が宮津… 続きを読む