奥の院墓地にある岡藩中川家の墓所。
岡藩中川家の墓所は別の場所にもあり、
初、4、7、9代の供養塔がありました。
便宜上上記を中川家墓所①とし、
この記事の場所を中川家墓所②とします。
逆光で如何ともし難い・・・。
右から、
「通玄院殿雲外了山」、
「… 続きを読む
高野山奥の院墓地/岡藩中川家墓所②
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奥の院墓地にある岡藩中川家の墓所。
岡藩中川家の墓所は別の場所にもあり、
初、4、7、9代の供養塔がありました。
便宜上上記を中川家墓所①とし、
この記事の場所を中川家墓所②とします。
逆光で如何ともし難い・・・。
右から、
「通玄院殿雲外了山」、
「… 続きを読む
奥の院墓地にある岡藩中川家の墓所。
「鬼瀬兵衛」と称された中川清秀は、
羽柴秀吉と義兄弟の契りを交わす間柄で、
本能寺の変後に秀吉に与していました。
賤ケ岳の戦いで大岩山砦を守備した清秀は、
猛将… 続きを読む
犬飼は川港が置かれた水運の要所ですが、
大分県豊後大野市 犬飼湊
陸路の日向街道も通っていた為、
水運及び陸運に重要な場所でした。
これは現在でも同様のようで、
中九州横断道路の犬飼ICが設置され、
国道10号線、57号線… 続きを読む
犬飼湊は大野川流域にあった川港で、
現在の竹田市に拠点を置いた岡藩が、
城下に送る物資の陸揚げや、
参勤交代時の河路の発着地とした場所。
「犬飼湊」。
大野川西岸に船着場が設置され、… 続きを読む
今市宿は豊後(肥後)街道の宿場町で、
岡藩領の属していました。
道筋には藩政時代の石畳が残されており、
貴重な交通遺跡となっています。
大分市今市周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが今市宿跡。
現地案内版より。
何屋があったのか記載されています。
今市宿は中央に桝形のあるタイプ。
南側より散策。
「下町… 続きを読む
6年前に訪問した岡藩中川家墓所。
その際は初代藩主と幕末の藩主のみ、
写真を撮って記事としていましたが、
今回全ての藩主の墓を撮影する為、
再度訪問する事としました。
「岡藩主おたまや公園」。
岡藩の初代藩主中川秀成は、
稲葉川対岸に御茶屋を建設させますが、
その完成を待たずに死去。
跡を継いだ2代藩主中川久盛… 続きを読む
中川久貞墓所のある小富士山の東側。
道沿い約700m東に幾と、
岡藩の一門家老家の墓所があります。
「中川氏源久豊塔」。
一門家老中川久豊の墓。
名君とされる3代藩主中川久清の次男で、
4代藩主中川久恒の弟にあたります。
久清は久恒に家督を譲って隠居し、… 続きを読む