加治木島津家の歴代墓所は能仁寺跡。
能仁寺は隠居中の島津義弘が、
孫にあたる島津忠朗の発願で創設され、
後に加治木島津家の菩提寺となりました。
「加治木島津家墓所(能仁寺跡)」。
67基あるという燈籠が連なる墓所。
江戸時代の当主の墓は全て五輪塔… 続きを読む
「御一門」タグアーカイブ
鹿児島県姶良市 加治木御仮屋跡
加治木島津家の居館加治木御仮屋跡は、
柁城小学校及び加治木高等学校の敷地辺り。
加治木高等学校の南西には、
加治木護国神社が建てられており、
御仮屋跡の石垣が残されています。
「加治木御仮屋跡」。
島津義弘は晩年を加治木で過ごし、
ここに居館を建設しています。
義弘の死後は孫の島津忠朗… 続きを読む
鹿児島県姶良市 島津久薫墓所
関ケ原の戦いの後に島津義弘は、
加治木で晩年を過ごしており、
そこにあった大樹寺を崇敬していました。
その死後に息子の初代藩主島津忠恒は、
義弘と母の実窓夫人の位牌及び、
早世した自身の3人の娘の位牌を、
大樹寺に納めて菩提寺としていますが、… 続きを読む
鹿児島県姶良市 重富御仮屋跡
重富御仮屋跡は重富小学校の敷地。
元々は島津義弘が築いた平松城で、
義弘が落城させた岩剣城の東麓に、
居館を築いた事が始まりとされます。
関ヶ原の戦いから帰還した義弘が、
暫く滞在していたとされます。
その後は越前家を再興した島津忠紀が、
自領… 続きを読む
鹿児島県姶良市 紹隆寺/重富島津家墓所
紹隆寺は重富島津家の菩提寺で、
廃仏毀釈により廃寺となっていましたが、
昭和63年に永平寺の不老閣を移設し、
再建を果たしています。
島津家墓所を巡っていると、
その菩提寺は悉く破壊されていた為、
紹隆寺も廃寺のままだと思っていました。
墓地の横に大きな仏殿があったのは、
勿論気が付いてはいましたが、
別の寺院であると思い込んで、
墓地だけを訪問してしまっています。
基本的に墓所へ参拝する時は、… 続きを読む
鹿児島県指宿市 今和泉御仮屋跡
今和泉郷は今和泉島津家の領地だった地。
※今和泉郷は揖宿郡小牧村、岩本村、西方村、
頴娃郷池田村、利永村等がらなる外城。
かつて存在した和泉島津家を、
延享元年(1744)に今和泉家として再興し、
一門家のひとつとしたもので、
4代藩主島津吉貴の七男島津忠郷が、
僅か3歳で当主となっていました。
「… 続きを読む
鹿児島県指宿市 今和泉島津家墓所
今和泉島津家は薩摩島津家の支流で、
宗家4代島津忠宗の次男島津忠氏が、
和泉(出水)郷を与えられ、
和泉島津家を称したのに始まります。
しかし5代当主島津直久が戦死した為、
327年の間当主が不在となりますが、
これを江戸時代になって復活させて、… 続きを読む