角牟礼城は鎌倉期の弘安年間(1278-1288)に、
玖珠郡衆の森朝通により築城された城。
玖珠郡衆は豊後守護大友家の支配下で、
角牟礼城は要衝の城として補強されつつ、
堅固な山城となっています。
天正14年(1586)の島津家の豊後侵攻でも、
次々と城が落とされる中で玖珠郡衆が籠城。
島津勢の猛攻にも耐えて落城しませんでした。… 続きを読む
大分県玖珠郡 角牟礼城跡
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角牟礼城は鎌倉期の弘安年間(1278-1288)に、
玖珠郡衆の森朝通により築城された城。
玖珠郡衆は豊後守護大友家の支配下で、
角牟礼城は要衝の城として補強されつつ、
堅固な山城となっています。
天正14年(1586)の島津家の豊後侵攻でも、
次々と城が落とされる中で玖珠郡衆が籠城。
島津勢の猛攻にも耐えて落城しませんでした。… 続きを読む
別府の大部分は天領だったようですが、
一部森藩久留島家領もありました。
これが明礬温泉のある旧速見郡鶴見村で、
森藩の飛地領であったようです。
寛文4年(1664)にこの鶴見村の照湯で、
渡辺五郎右衛門が明礬製造に成功。
寛文6年(1666)には更に高地にて、
本格的な明礬生産を開始しました。
これが現在の明礬温泉の地ですが、… 続きを読む
瀬戸内海で活動した村上水軍の三家、
能島村上家、因島村上家、来島村上家。
このうち能島村上家と因島村上家は、
毛利家の御船手組となっていますが、
来島村上家の村上通総は豊臣秀吉に仕え、… 続きを読む