四賢候の松平春嶽、伊達宗城、山内容堂、
島津斉彬、水戸の烈候徳川斉昭、
肥前の妖怪鍋島関叟など、
強烈なリーダー藩主は沢山いましたが、
最終的な明治維新の原動力になったのは、
カリスマ藩主… 続きを読む
「毛利敬親」タグアーカイブ
山口県山口市 野田神社と豊栄神社
長州藩が維新に貢献出来た最大の理由は、
藩主が毛利敬親であったからだと思う。
同時期に活躍した雄藩には、
賢候とされる藩主がいますが、
敬親は賢候と称されることはありません。
四賢侯と呼ばれる福井藩の松平春嶽、
土佐藩の山内容堂、薩摩藩の… 続きを読む
長州藩主と英国艦隊提督の会見
慶応2年11月。
木戸貫冶(桂小五郎)は鹿児島に向かう途中、
長崎に立ち寄っています。
英国東洋艦隊もたまたま長崎に寄港しており、
木戸は司令官のジョージ・キング提督と会見。
会見の際にキング提督は下関への寄港と、
長州藩主への拝謁を強く求めてきました。
木戸は鹿児島に行くので即答できないと答え、
鹿児島からの帰路の下関で藩に手紙を送り、
拝謁の可否を考えてくれるように促します。
藩政府は英国との繋がりを作る好機と考え、
藩主毛利敬親… 続きを読む
高杉晋作の命日
4月14日は高杉晋作の命日。
僕は今年も出張です。
4月14日は旧暦で実際に晋作が亡くなったのは、
西暦1867年7月17日です。
この一年後の1868年5月17日には、
新撰組局長の近藤勇が斬首されています。
それから3年後の1871年5月17日には、
晋作の主君毛利敬親が亡くなっています。
意外な共通点ですね。
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「毛利敬親」役 金田龍之介と北大路欣也
「花神」を見て・・・。
毛利敬親はバカ殿と賢君の狭間の人??
賢君とは何か?
文字通り賢い殿様と言う事なのでしょうが、
幕末で言えば島津斉彬や徳川斉昭、
松平春嶽などが浮かびます。
彼らは自らどんどん行政改革を実行し、
自ら行動するタイプで、
とってもわかりやすいお殿様ですね。
とはいえ組織のトップ… 続きを読む
山口県山口市 亀山公園~敬親と井上と周布
山口市に行く用事がありましたので、
今回は亀山公園に行ってみました。
亀山公園は文字どうり、
亀山という山の山頂にある公園です。
ここには「そうせい候」毛利敬親像があります。
馬上で見下ろすその姿は、
家臣に終始寛大な姿勢を貫いた、
親のような威厳が感じさせられます。
僕は「偉大なるそうせい候」と呼んでいますが、
そういう雰囲気がよく表現されてる銅像です。
中腹には有名な… 続きを読む
山口県山口市 枕流亭&毛利藩主の墓
3連休の最終日。
父が弟の子供を博物館に連れて行くというので、
便乗して一緒に山口市へ。
博物館に行く前に瑠璃光寺を観光。
瑠璃光寺本堂や五重塔などは、
幕末とはあんまり関係ないのでさらりと見学。
(有名な五重塔ですが・・・)
僕のお目当ては毛利家墓所です。
ここには長州藩第13代藩主毛利敬親、
第14代藩主毛利元徳、
元徳の長男毛利元昭… 続きを読む