9代武雄鍋島家当主鍋島茂義は、
嘉永4年に隠居屋敷を造設しており、
そこに造園された庭園が残されています。
「鍋島藩武雄領主の庭園」。
明治元年に本拠の武雄陣屋が火災で焼失。
※武雄陣屋跡は現在の武雄高等学校の敷地。
10代鍋島茂昌… 続きを読む
佐賀県武雄市 武雄鍋島家別邸跡
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9代武雄鍋島家当主鍋島茂義は、
嘉永4年に隠居屋敷を造設しており、
そこに造園された庭園が残されています。
「鍋島藩武雄領主の庭園」。
明治元年に本拠の武雄陣屋が火災で焼失。
※武雄陣屋跡は現在の武雄高等学校の敷地。
10代鍋島茂昌… 続きを読む
古くからの武雄領主であった後藤家は、
龍造寺隆信の勢力拡大により、
その支配下となっていました。
後に隆信が沖田畷の戦いで討ち取られ、
次代龍造寺政家より竜造寺姓を賜りますが、
竜造寺家は鍋島直茂が実権を掌握。
鍋島家と龍造寺一門との融和政策が行われ、
武雄竜造寺家も鍋島姓を賜り、
以後は… 続きを読む
佐賀藩10代藩主鍋島直正(閑叟)は、
文化11年に江戸桜田藩邸で生まれ、
明治4年に同じく桜田藩邸で死去し、
亡骸は麻布の賢宗寺に葬られました。
この春日山には遺髪納められていましたが、
平成11年に遺骨が賢宗寺より改葬され、
最後の藩主11代藩主鍋島直大… 続きを読む
蓮池藩は佐賀藩の支藩。
初代鍋島勝茂の五男鍋島直澄が、
5万2000石を分知されて立藩し、
佐賀城三ノ丸に政庁を構えていましたが、
後に蓮池に陣屋を構えました。
蓮池陣屋跡は蓮池公園として整備され、
建物は残っていないものの堀や庭園などが、… 続きを読む
小城鍋島家の墓所は星巖寺。
境内にある五百羅漢が有名な寺院でした。
「星巖寺 楼門」。
別名龍宮門とも呼ばれるように、
龍宮城のような外観をしています。
嘉永5年に竣工したもので、
外見は中華風ですが造りは木造の和風様式。
小城藩が長崎警護… 続きを読む
小城藩は佐賀(肥後)藩の支藩。
初代佐賀藩主鍋島勝茂の長男鍋島元茂が、
初代藩主として立藩しまています。
元茂は勝茂の嫡子でしたが、
勝茂の後妻が徳川家康の養女であった為、
その後妻の子鍋島忠直が継嗣となり、… 続きを読む