薩摩藩」タグアーカイブ

鹿児島県伊佐市 曽木の滝

曽木の滝仙台川上流に位置するで、
東洋のナイアガラとも称され、
豊臣秀吉島津征伐の帰路に立ち寄り、
その雄大な景観を楽しんだとされます。


曽木の滝」。
滝の高さは12m、幅は210mもあり、
変化に富んだ地形に豪快に注ぐ水は、
非常に荒々しく流れています。


「… 続きを読む

鹿児島県出水市 出水宿跡

出水宿薩摩街道の宿場町。
平良川と武家屋敷の間に挟まれ、
その御用商人達が集まった場所で、
数軒の旅籠かあったとされています。


和泉市本町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかし辺りが出水宿跡。


出水宿跡」。
街道筋は出水麓の… 続きを読む

鹿児島県出水市 出水御仮屋跡

薩摩藩は領内各地に外城(麓,郷)を設け、
そこに武士を配置して定住させて、
防備拠点として武家屋敷群を構成し、
独自の外城制度を確立させています。
外城は領内に120もあったとされ、
御仮屋と呼ばれた役所を中心に、
数本の馬場と細い道で町割され、
そこに武家屋敷が配置されていました。


竪馬場通り」。
薬医門を構えた武家屋敷が並ぶ馬場。… 続きを読む

東京都文京区 麟祥院/嵯峨実愛墓所

麟祥院にある嵯峨実愛の墓所。
幕末期には正親町三条実愛と称し、
薩摩藩に近い立場の公卿でした。


従一位勲一等嵯峨實愛墓(中央)」、
正二位訓二等侯爵嵯峨公勝之墓(右)」、
嵯峨三郎麿之墓(左)」。
正親町三条家続きを読む

鹿児島県鹿児島市 福昌寺跡/島津久光墓所

福昌寺跡には島津久光の墓もあります。
久光は明治4年に玉里島津家を興しており、
最終的に島津宗家の人間ではありませんが、
宗家歴代の墓が居並ぶ宗家墓所の中央に、
最も広い墓域で聳えています。


前左大臣従一位大勲位侯爵島津久光墓」。
玉里島津家初代当主島津久光の墓。
薩摩藩10代藩主島津斉興の五男で、… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 福昌寺跡/島津宗家墓所③

//③
つづき。


鑑阿天清道煕大居士」。
島津宗家20代当主、
薩摩藩3代藩主島津綱貴の墓。
2代藩主島津光久の嫡男島津綱久の子で、
父が家督を相続する前に死去した為、
嫡孫となって祖父の隠居により家督を相続。… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 福昌寺跡/島津宗家墓所②

/②/
つづき。


白露夭霊彦命」。
島津宗家13代当主島津忠隆の墓。
11代島津忠昌の次男として生まれ、
12代の兄島津忠治の死去により家督を相続。
兄と同様に戦を好まぬ人物だったようで、
領国の乱れは続いており、
兄と同様に早逝しています。


「… 続きを読む