薩摩藩」タグアーカイブ

鹿児島県鹿児島市 福昌寺跡/島津宗家墓所①

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福昌寺島津奥州家2代当主島津元久
総持寺20世であった石屋真梁を招き、
自らの菩提寺として建立した寺院でした。
後に島津宗家の菩提寺となった為、
歴代の墓が建てられるようになりましたが、
維新後の… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 伊牟田尚平誕生地

巨大な石油貯蔵施設な並ぶENEOS喜入基地
その近くに伊牟田尚平の誕生地があります。


伊牟田尚平君誕生地碑」。
伊牟田家は喜入郷領主肝付兼善の家臣で、
薩摩藩からは陪臣の立場でした。
医業を志して侍医… 続きを読む

鹿児島県指宿市 島津斉彬公掘井碑

指宿市東方にある間水神社の裏手に、
島津斉彬東郷平八郎ゆかりの碑があります。


島津斉彬公掘井碑新旧二基」。
安政5年に二月田に湯治に来た島津斉彬は、
指宿地方大旱魃を目撃したようで、
郡奉行見習続きを読む

鹿児島県指宿市 今和泉御仮屋跡

今和泉郷は今和泉島津家の領地だった地。
※今和泉郷は揖宿郡小牧村、岩本村、西方村、
 頴娃郷池田村、利永村等がらなる外城

かつて存在した和泉島津家を、
延享元年(1744)に今和泉家として再興し、
一門家のひとつとしたもので、
4代藩主島津吉貴の七男島津忠郷が、
僅か3歳で当主となっていました。


「… 続きを読む

鹿児島県指宿市 今和泉島津家墓所

今和泉島津家薩摩島津家の支流で、
宗家4代島津忠宗の次男島津忠氏が、
和泉(出水)郷を与えられ、
和泉島津家を称したのに始まります。
しかし5代当主島津直久が戦死した為、
327年の間当主が不在となりますが、
これを江戸時代になって復活させて、… 続きを読む

下関市南部町 綿屋弥兵衛宅跡

禁門の変で直接戦火を交えた薩長両藩
この両藩を和睦させる為に、
筑前勤皇党(福岡藩)の月形洗蔵らや、
土佐脱藩の坂本龍馬中岡慎太郎が奔走し、
桂小五郎西郷隆盛の直接会談の場が、
赤間関で設けられることになります。… 続きを読む

宮崎県日向市 黒田の家臣

細島港の先にある半島部分に、
古島という名の小さな島が浮かんでおり、
地元では黒田の家臣と呼ばれています。

文久2年にここで3人の遺体が見つかり、
その被害者1人の腹巻には、
 平生心事豈有他 赤心報國唯四字
 黒田家臣、海賀直求

と書かれていたという。
3人共に片方の手に麻縄が結われており、
嬲り殺しにされたと推測されました。


古島」。… 続きを読む