村田銃の開発者村田経芳の墓。
薩摩藩随一の射撃の名手でもありました。
「従二位勲一等男爵村田經房
室 久新子墓」。
陸軍少将村田経芳夫妻の墓。
薩摩藩士村田経徳の長男として生まれ、
西洋式砲術を学んで射撃技術を磨き、
外城一番隊長として戊辰戦争に従軍。… 続きを読む
東京都台東区 谷中霊園/村田経芳墓所
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村田銃の開発者村田経芳の墓。
薩摩藩随一の射撃の名手でもありました。
「従二位勲一等男爵村田經房
室 久新子墓」。
陸軍少将村田経芳夫妻の墓。
薩摩藩士村田経徳の長男として生まれ、
西洋式砲術を学んで射撃技術を磨き、
外城一番隊長として戊辰戦争に従軍。… 続きを読む
明治14年。
大山巌と西郷利通は開墾場を共同経営し、
彼らの出身地の加治屋町の名から、
鍛冶屋開墾と名付けました。
500町歩(500ha)の開墾地は植林や、
小作経営を行っていたようで、
牧牛も行われたとのこと。
両人の働きかけで東北本線が開通し、… 続きを読む
正徳3年(1713) 閏5月10日夜。
薩摩藩士内田忠左衛門と海江田次郎兵衛が、
藩の公用荷物を馬2頭に積み、
鹿児島から不眠不休で運んでいました。
夜四ッ時(午後10時頃)に小竹に至り、
小休して更に進んで竹藪の道となると、
暗がりで盗賊5人に襲われます。
盗賊は不意を衝いて内田の刀… 続きを読む
青山霊園にある野津家の墓所。
陸軍中将の兄野津鎮雄、
元帥陸軍大将の弟野津道貫の兄弟は、
日本陸軍の黎明期に活躍した軍人で、
幕末期には誠忠組にも加盟していました。
「野津家之墓」。… 続きを読む
青山霊園にある大久保利通の墓所。
大久保は紀尾井坂の変で暗殺され、
その翌日に正二位右大臣が追贈。
暗殺から3日後の5月17日に、
近代日本最初の国葬級葬儀が行われ、
遺骸は青山霊園に埋葬されました。
「贈右大臣正弐位大久保公神道碑」。… 続きを読む
青山霊園にある川路利良の墓。
「陸軍少将兼大警視川路君之墓表(右)」、
「陸軍少将大警視
正五位勲二等川路君墓(中)」、
「贈従三位川路利良妻川路澤子之墓(左)」。
川路利良の顕彰碑と墓及び、
その妻の川路澤子の墓。
薩摩藩… 続きを読む
東北寺は渋谷区広尾にある臨済宗の寺院。
至道無難という僧が麻布に草庵を営み、
後に米沢藩2代上杉定勝の側室生善院が、
中興開基して現在地に移転し、
寺号を東北寺に改めたとされています。
「東北寺」。
山門を含めた建物はどれも新しく、
非常に綺麗なお寺です。… 続きを読む