福岡藩黒田家藩祖黒田官兵衛孝高(如水)は、
播磨国御着城城主小寺政職の家臣でしたが、
後に豊臣秀吉に仕えて大大名となっており、
その子黒田長政は福岡藩を立藩し、
江戸時代を通じて続きました。
市川下流東側の妻鹿… 続きを読む 
兵庫県姫路市 黒田職隆墓所
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福岡藩黒田家藩祖黒田官兵衛孝高(如水)は、
播磨国御着城城主小寺政職の家臣でしたが、
後に豊臣秀吉に仕えて大大名となっており、
その子黒田長政は福岡藩を立藩し、
江戸時代を通じて続きました。
市川下流東側の妻鹿… 続きを読む 
郷ノ浦町本村触にある松浦隆信の拝塔。
隆信は平戸藩の3代藩主で、
父久信の死後に13歳で家督を継ぎ、
35年間藩主を務めて47歳で死去しました。
隆信は武生水村の妙見社、住吉神社の拝殿、
本宮八幡各社の再建を行っています。
壱岐在住の藩士らは隆信の死を悼み、… 続きを読む 
安国寺は壱岐市にある臨済宗寺院。
暦応元年(1338)に足利尊氏と足利直義は、
壱岐にあった海印寺を安国寺に改称し、
元寇以来の戦死者を弔いました。
安国寺は室町時代よりの古刹であり、
多くの寺宝を所蔵していましたが、
そのひとつであった… 続きを読む 
津藩藤堂家の墓所は津の寒松院や、
東京の寛永寺寒松院にありますが、
3代藩主藤堂高久は遺言により、
上野盆地西側の長田山に埋葬されました。
※双方の墓所にも高久の墓はあります。
「藤堂高久公廟… 続きを読む 
美作勝山藩の藩主家である三浦家は、
鎌倉御家人三浦義村の子三浦家村の末裔。
藩祖三浦正次は3代将軍徳川家光に仕え、
下総国内780石を与えられた後、
御小姓組頭、御書院番組頭と出世を重ね、
寛永7年(1630)に1万石に達して諸侯に列し、
矢作藩… 続きを読む