黄檗宗」タグアーカイブ

福岡県柳川市 福厳寺/柳河藩立花家墓所②

①/

つづき。


興源院殿慈雲紹蔭大居士之塔」。
5代藩主立花貞俶の墓。
立花帯刀家当主立花茂高の次男に生まれ、
旗本立花弾正家の養子となっていますが、
柳河藩4代立花鑑任が継嗣なく死去した為、… 続きを読む

福岡県柳川市 福厳寺/柳河藩立花家墓所①

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福厳寺柳河藩立花家の菩提寺。
大友宗麟の宿老であった戸次鑑連が、
継母の養孝院を糟屋の梅岳寺に葬り、
寺名を養孝院したのが創建とされ、
立花家が柳河へ転封された際に、
現在地に移って梅岳寺に改められます。

立花家は関ケ原の戦い続きを読む

佐賀県小城市 玉毫寺/小城藩鍋島家墓所

玉毫寺小城藩3代鍋島元武の菩提寺で、
その死後に創建された黄檗宗の寺院ですが、
開山は本人の元武となっています。
元武は2代鍋島直能の次男として生まれ、
嗣子に指名されていましたが、
17歳で疱瘡を患って顔にあばたが残り、
人前に出るのを恥じるようになりました。… 続きを読む

山口県萩市 東光寺/長州藩毛利家墓所(再訪)

久しぶりに東光寺を訪問。
※前回訪問はこちら
東光寺は大照院と同じ毛利家歴代墓所で、
奇数代の藩主5人の墓があります。
3代毛利吉就が建立した黄檗宗の寺院で、
仙台藩伊達家の菩提寺大年寺続きを読む

福岡県田川郡 碧巌寺/小笠原忠幹仮埋葬地

小笠原忠幹小倉戦争直前で病死。
有事ということでその死は伏せられ、
忠幹の遺骸は密かに城内に埋められました。
後に熊本藩らの撤兵で孤立した小倉藩は、
小倉城を自焼させて城下から田川まで撤退。
香春を仮藩庁としました。

未だ長州藩と交戦状態にある小倉藩は、
落城した小倉城より忠幹の遺骸を掘り返し、
安全な場所への埋葬を計画。… 続きを読む