黄檗宗」タグアーカイブ

福岡県田川郡 碧巌寺/小笠原忠幹仮埋葬地

小笠原忠幹小倉戦争直前で病死。
有事ということでその死は伏せられ、
忠幹の遺骸は密かに城内に埋められました。
後に熊本藩らの撤兵で孤立した小倉藩は、
小倉城を自焼させて城下から田川まで撤退。
香春を仮藩庁としました。

未だ長州藩と交戦状態にある小倉藩は、
落城した小倉城より忠幹の遺骸を掘り返し、
安全な場所への埋葬を計画。… 続きを読む

下関市豊北町 四恩寺跡

長州に逃れた中山忠光は潜伏先を転々とし、
田耕大田新右衛門宅に2ヶ月弱程潜伏し、
その後は更に奥地の四恩寺に向かいます。

これは僕なりの推測なのですが、
脱走を繰り返して辺りを歩き回る忠光に、
幕吏の追求を恐れた長府藩俗論派は、
四恩寺に座敷牢続きを読む

佐賀県小城市 星巌寺/小城藩鍋島家墓所

小城鍋島家の墓所は星巖寺
境内にある五百羅漢が有名な寺院でした。


星巖寺 楼門」。
別名龍宮門とも呼ばれるように、
龍宮城のような外観をしています。
嘉永5年に竣工したもので、
外見は中華風ですが造りは木造の和風様式。
小城藩が長崎警護続きを読む

佐賀県鹿島市 普明寺/鹿島藩鍋島家墓所②

続き。
/②


瑞巌院殿前泉州太守朝散大夫
 威徳良光大居士之墖
(右)」、
悌操院殿松室淨輝大姉之墖(左)」。
8代藩主鍋島直宣とその正室の墓。
小城藩6代鍋島直員の四男に生まれ、
7代鍋島直熙が本家を継いだ為、… 続きを読む

佐賀県鹿島市 普明寺/鹿島藩鍋島家墓所①

①/

鹿島藩主鍋島家の墓所は普明寺
3代藩主鍋島直朝の長男断橋(鍋島直孝)が、
久保山に開基した黄檗宗の寺院。
断橋は病弱だった為に家督は継がずに出家。
弟の鍋島直條が4代藩主となっています。
父直朝や弟直條の援助によって創建され、… 続きを読む

山口県岩国市 通化寺/遊撃軍の本陣

遊撃軍来島又兵衛が組織した部隊で、
禁門の変では来島が戦死する程奮戦。
来島の死後は石川小五郎の指揮の許で、
いち早く功山寺挙兵にも参加しました。
内訌戦大田絵堂の戦いの後には、
高杉晋作が総督となっていますが、
正式に藩から任命されたわけではなく、
事実上の総督であったようです。… 続きを読む